【合気道09/09~09/16】「当たり前のこと」を当たり前のようにする

溜まっている分の稽古日誌を書きます。

先週はダンスと体操は参加者がいなくて開催しませんでしたので、合気道クラス三回分です。

クラス:合気道

日 時:2014年9月9日(火)・15時~17時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:4名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送ってから継ぎ足
    • 回転

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 肩取り四方投げ
    • 肩取り入り身投げ
    • 肩取り一教
    • 肩取り呼吸投げ
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

前回の火曜日稽古で体験に来られた方が、正式に入門されました。

新しく入門された方はまだ二回目の稽古なので、体操や呼吸法の説明を多めにし、体術も別メニュー(逆半身片手取りの入り身投げ)にしました。

 

しかし、新しい方に基本事項を説明する度に毎回思いますが、最初のうちは覚えねばならないことだらけです。

体操や呼吸法のやり方を一通り覚えるだけでも一苦労。

その上、足捌きや受身も練習して、最後に体術までやるとなると、初めは分かることを見つけるほうが大変でしょう。

分からないことがあまりに多すぎて、「何が分からないのかも分からない」ような状態になってしまうと思います。

 

そんな状態ですから、たとえ目の前で技の見本を見せられても、何が起こっているのかよく分からないうちに終わってしまいます。

仮にどれだけ目を凝らして見ていても、動きが見えない。

というのも、人間というのは、どんなにゆっくりな動きであっても、それを解釈したり意味づけたりするための枠組みを持っていないと、はやくて見えない(ように感じる)ものだからです。

 

それはあたかも、耳慣れない外国語を聞くようなものです。

聴覚に障害があるのでなければ、もちろん音は聞こえます。

しかし、聞こえてくる音声から自分に理解できる意味を掬い取ろうとして、ジッと耳を澄ませて待ち構えていても、「よく分からない音の奔流」が圧倒的な勢いでやってきて、気づくともう全て通り過ぎてしまっている。

 

ですが、「見ること」と「実際に身体を動かすこと」とを繰り返していくことで、少しずつ「動きの法則」が理解できるようになります。

その過程で、「この技とこの技には同じような動きが入っている」ということも見抜けるようになってきます。

「混沌とした音の塊」を「単語」へと切り分けることができるようになるのと同様、反復練習によって、「技の流れ」の中に「知っているパターン」を切り出して見ることができるようになるのです。

 

とはいえ、そこまでがすっごく大変です。

「全く理解できないもの」をとにかく聞き続けたり見続けたりするというのは、しばしば人の心を摩耗させます。

「とっかかり」が一つでも見つかると、かなり精神的には安心できて楽になるのですが、それまではつかみ所の無いツルツルとした壁面を登らされるような不安と疲労感が終始つきまといます。

 

もちろん「とっかかり」が一つ見つかっても、また次の「わからないこと」がいくらでも出てくるので終わりはありませんが、「分からなくなったときに一端戻る場所」がひとまずは自分の中に確保できるというのは大きな一歩です。

 

この「最初の一歩までが大変」というのは(私自身も含め)例外なく誰もが通る道なので、先輩に聞いてみると「最初はきつかった」ということと、「でも、そこを越えると新しい世界が見えて楽しくなってきた」ということを、だいたいは話してもらえると思います。

そういった「先達の言葉」がどれだけ初学者の支えになるかはわからないですが、私もなるべくこの「困難な時期」を門人の方々が耐えやすいよう(可能であれば「そこそこ楽しい」と感じられるように)、道場の雰囲気や環境を整えていきたいです。


クラス:合気道

日 時:2014年9月15日(月・祝)・17時~19時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:2名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送ってから継ぎ足
    • 継いでから送り足
    • 送って継いで送り足

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換4種
    • 逆半身片手取り四方切り
    • 逆半身片手取り四方投げ
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入り身投げ
    • 逆半身片手取り小手返し

(休憩)

  • 体術(続き)
    • 相半身片手取り一教
    • 逆半身片手取り呼吸投げ
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

甲南合気会からお一人と久々の参加の方がお一人で、計二名。

祝日ということもあって、柔道場のもう半面では別の武術団体が稽古をしていました。

最近しばしば顔を合わせることのある団体なのですが、向こうの代表の方と話したところ、王子スポーツセンターが始まったころからずっとここで稽古をしているのだそうです。

昔はもっと柔道場も空いていたらしいのですが、「最近は利用者も増えて掃除をしないで帰ってしまう団体も多い」とのことで、利用前に畳の掃き掃除をしていました。

 

うちも、稽古の前と後にかかさず柔道場の掃除をしているのですが、たしかにここはゴミが多いです。

たまに二日連続で利用することがあるのですが、そういう場合でも、翌日にはもう床がゴミだらけになっています。

いくら掃除しない人が多いと言っても、こんなにすぐ床が汚くなるのは不思議でなりません。

私は「昼に人間が集めたゴミを、夜に小人たちが蒔いているのではないか」と密かに思っています。

 

それはそれとして、今回は技数をたくさんやりました。

参加者が、技の説明をあまりしなくても身体の動く方だけだったので、ひっかかりやすいポイントをそれぞれ個別に指摘するだけでサクサク進行。

ある程度まで身体が動くのであれば、説明を聞いて頭を働かせるよりも、とにかく数をやった方が身につきやすいからです。

 

参加者二人のうち、甲南合気会から来られた方は、うちの日曜や祝日の稽古にはしばしば参加されている方で、この日の翌日が初めての昇級審査でした。

審査の最終確認をされたかったようで、休憩時間などに技の手順をいくつか質問されていました。

 

ちなみに、今回の秋審査でうちの会からは、門人それぞれのレベルや稽古スケジュールなどを考慮した結果、受審者は一人も出しませんでした。

審査を受けることが稽古を続けていく際のモチベーション維持に役立つ場合もありますが、現状そういった必要性もないように思われましたし、そもそも最初の審査で行わねばならないであろう技の7~8割程度しか、普段の稽古の中でやれておらず、手順を覚えるのにもまだ少し時間がかかりそうに感じられたからです。

もちろん、「手順を覚えておけばそれでよい」ということではないですが、うちはうちのペースでのんびりやっていこうと思います。

 

ところで、審査において真に評価されるのは「言われた手順をちゃんと覚えてきたかどうか」ではなく、実は「当たり前のことが当たり前にできているかどうか」です。

それは言い換えれば「正しい時に、居るべき場所で、為すべきことを為しているかどうか」ということです。

 

と、こう書くと難しそうですが、私達は誰しも程度の差はあれ、社会生活の中で日常的にこういったことを心がけながら生きています。

その日の予定に間に合うように起きる時間や家を出る時間を前もって決めたり、通行人にぶつかったり無用なトラブルに巻き込まれないようにそのつど進路を微調整したり、場の空気や相手の表情などから今ここでどう振る舞うべきかを適宜判断しています。

 

こういったことは、落ち着いて現状を見渡せている限りは、誰もが当たり前のようにできていることです。

もしそれができなければ、社会生活を円滑に営んでいくことは難しくなってしまうでしょう。

 

でも、どれほど普段は能力の高い人であっても、こういった「当たり前のこと」は突然できなくなる可能性があります。

身体が過度に疲れていたり、心理的な負荷が限界を超えてパニックを起こしてしまったりすると、この「当たり前」がまったくできなくなってしまいます。

 

そして、合気道の審査でも、本当に見られるのはこういった「当たり前のこと」なのです。

たとえば、相手に手首を掴まれて身動きが取れなくなる前に「手首を取らせる準備」ができているかどうか、師範や受けの人に坐礼をするときの距離感は遠すぎたり近すぎたりしないかどうか、もし予測していなかった事態が起こったとしても(知らない技が出題される、受けの人が取り手を間違えるなど)、その場でフリーズせずに自分なりの対応ができるかどうか、そういったことが評価の対象になる。

 

これらは「技術的に難しいこと(10回転ターンとか宙返りのような高度な身体技術)」ではなくて、気をつけてさえいれば誰でも試みることが可能な範囲の事柄です。

そして、なにより「ああ、こういうことに気をつけているんだな」ということが傍から見ていてもちゃんとわかります。

 

でも、普段の生活と道場の中とでは、緊張感が違ってきます。

審査ともなればなおさらで、「当たり前のことを当たり前にする」ということが非常に難しくなります。

それが厄介なことでもあり、だからこそ、審査においてその部分が見られるのだとも言えます。

 

実際、審査の途中で頭が真っ白になってしまい、いつもならできる基本的な技がまるでできなくなってしまった人もいましたし、坐礼の時に距離が近すぎて相手と頭をぶつけそうになっていた人もいました。

そういうとき、人は「手順を間違える」というようなわかりやすい形でではなく、 「『手順を間違えたときの対応』を間違える」という仕方で失敗を犯します。

それは「手順を覚えているかどうか」とか「難しい動作ができているかどうか」とかいったことよりもさらに手前といいますか、もっと大きな枠組みの中での失敗なのです。

 

「手順を覚えているかどうか」については正解と不正解があり得ますが、「辿るべき道筋を見失ったときにどうしたらいいか」については正解も不正解もありません。

でも、内田先生が審査のとき重点的に見ているのは、実はこういった「答えのない問いへの応え方」ではないかという気が私はします。

 

「答えが分からないまま応え続ける」というのは私達の日常そのものですから、考えようによっては「生きること全てが合気道の修行」と言えなくもありません。

でも、そういう考え方をあんまり万事に当てはめて敷衍しすぎると精神的に疲れることもあるので、「ほどほどがいいかなぁ」と最近よく思う、不真面目な私です。


クラス:合気道

日 時:2014年9月16日(火)・15時~17時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:6名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送ってから継ぎ足

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換4種
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入り身から導いて気を通す
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

この日は人数が多かったです。初心者から上級者まで満遍なくいました。

メインテーマは「取り受けともに相手を感じ続けること」でした。

取りの人は手順を追うだけになって受けの人のことを無視しないように、受けの人は技の途中で動くことや感じることを止めないように、ということです。

 

ですが、今回のテーマは参加者の大半にとっては難しいものだったようです。

取りの人は手順がわからず受けの様子を感じるだけの余裕がなく、受けの人は取りの動きについていく仕方がわからず道に迷ってしまうケースが多発しました。

 

そこでこだわらずに先に進めば良かったのですが、どうしても私はこの課題を棚上げしてしまうことができませんでした。

このところ、審査シーズンということもあって、とかく手順ばかりを教えることが多く、感覚的な稽古に私自身が飢えていたためでもあったかと思われます。

 

また、自分自身でも身体の使い方に関していくつか発見があって、準備体操や呼吸法の中でそういったことも少し混ぜ込んでみたのですが、結果としては、欲張りすぎだったのかもしれません。

まあ、やってみないとわからないので、仕方がないです。

 

こういうときに私は「怪我人が出なかったのだから万事OK」と思うことにしています。

無茶な課題を出して怪我をさせるより、進歩はゆっくりでもいいから、長く続けられる安全な稽古環境のほうがずっとずっと大事です。

 

でも、焦っているとこの辺の優先順位が簡単にひっくり返るので、人間というものは怖いです。

「人間」というか、私は私が怖いです。

参加者が課題を出来ても出来なくても、のんびり悠々と構えていたいものです。

 

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