【ダンス09/25】音楽の鳴っている間は、足を止めてはいけません

クラス:ダンス

日 時:2014年9月25日(木)・19時~20時30分

場 所:コミスタこうべ302号室

参加者:2名

 

内 容

  • 身体ほぐし
  • 胴体の体操
    • 正坐で丸める・反る
    • 四つん這いで丸める・反る
    • 正坐で伸ばす・縮める
    • 立位で伸ばす・縮める

(休憩)

  • ダンス
    • 腕の使い方の練習
    • 下半身の使い方の練習(プリエ)
    • ステップの練習

 

雑 感

この日は初参加の方がお一人いました。

前に近所の喫茶店にチラシを置かせてもらったことがあったのですが、そこでうちの教室のことを知ったのだそうです。

完全新規の方は久々ですし、「チラシを見て来た」というのは初めてのケースです(新しく来る人のだいたいはクチコミなのです)。

 

そういえば、あのチラシも古くなっているので、そろそろ新しいのを作らねばなりませぬ。

体操クラスもなくなっちゃったし。

 

さてさて今回のレッスンですが、新しい人もいたので、ひとつひとつのエクササイズのやり方やポイントを確認しながら行いました。

前半の体操は基礎練習ですので、大きくたくさん動くことよりも、なるべく丁寧に、正確にやることを心がけました。

 

反対に、後半のダンスでは、正確に私の動きをなぞろうとし過ぎると、躍動感が出てこなくなってしまいますので、あまり細かいことは言わずに、伸び伸びと動いてもらえるよう言葉がけをしました。

 

身体の使い方についても、「風に吹かれて揺れるように」とか「酔っ払いがよろけるように」とかいった比喩を使って補足説明しました。

そのほうが、「このときに右足重心になって、手はこうで…」とかいった風に、身体操作を個別に説明するよりも、ずっと「動きの感じ」が伝わりやすいように思ったからです。

 

ダンスのステップ練習でも合気道の足捌きでも、大事なことは「止まらずに足を出し続けること」だと思います。

一度足が止まると、頭が働き過ぎてしまうものだからです。

「次の動きはこうだったかしら」とか「ここをこうしたらもっと良くなるんじゃないか」とかとか、あれこれ考えているうちに身体の動きが縮こまっていき、そこにあった生気が失われてしまうのです。

 

もちろん、工夫したり自己批判したりするのは大事なプロセスなんですが、それを動いている最中に同時並行で行おうとすると、大抵は身体が止まっていってしまいます。

そもそも、動き続けている限りは、自分の考えをまとめる前に「新しい問題」が次々出てきてしまいますから、それで、考えるために身体のほうを無意識に止めてしまうことになるわけです。

 

かように人間は一度立ち止まらないとじっくり考えることができないものですけれど、そこで「あえて立ち止まらない」ということも、身体を活き活きと動かすためには必要になります。

たとえゆっくりでもいいから、止まらずに足を出し続けること。

それによって、身体は独自のリズムで動き始めます。

「自分が身体を動かしている」というよりも、「動いている身体に連れて行ってもらっている」というような感じになる。

こういう状態のことを指して、「ノル」と私たちは言っているのではないかと思います。

 

「ノル」ためには、あまり頭が働きすぎない方がいいです。

でも、私たちの頭というのは、本当に何にでも首を突っ込んで干渉しようとします(どっかの資本主義国家みたいですね)。

この「干渉癖」ゆえに、頭は身体の動きにも介入せずにはいられなくなる。

 

私が思うに、身体は「変化」は遅いけれど「反応」は速いようにできています。

たとえば、身長や体重は一日二日で変わったりしないし、身に染みついた習慣も一朝一夕では変化しません。そういう意味で変化のスピードは決して速くないです。

 

けれど、物事の理非曲直を考える前に判断したり、状況に応じて即座に対応したりする能力も、身体は持っています。

たとえば、「相手が言っていることには筋が通っているけれど、どうも腑に落ちない感じがする」ということを私たちは日常的に経験します。こういうとき、身体は頭が考えて答えを出すよりも前に、独自のやり方で判断を下しているのだと思います。

 

これに対して、頭は「変化」するのは速いけれど、「反応」までには時間がかかる印象があります。

たとえば、朝起きたときの気分や考えは、昼になる頃にはたいてい別人のように変わっています。つい先日まで信じていた思想を、ある日突然捨ててしまったりすることもよくある。

頭は変化のスピードがものすごく速いのです。

 

でも、何か問題が持ち上がって「いったいどうしようか」となったときに、「それじゃあ今はこうしよう」という判断を下して実際に動き始めるまでには、頭はけっこう時間がかかります。

「どこかに見落としがあるのではないか」と疑い、「こういうことが起こった場合はどうしようか」と未来予測をし、AさんとBさんの利害関係の間で板挟みになりながら考えに考えて結論を出すので、どうしても時間がかかるわけです。

 

身体は「緩やかな変化」の中で「瞬間ごとの判断」をしており、頭は「目まぐるしい変化」の中で「断片的な答え」を出していきます。

どちらが良い悪いではなく、住んでいる時間が違うのです。

どちらの時間感覚にも、「使いどころ」や「不適切な状況」があります。

 

たとえば、身体の判断ばかりに偏ると、生物としては強くなるかもしれませんが、社会生活がうまく営めません。人間関係を良好に保つためには、「腑に落ちないけどひとまず信用した振りをしておく」というようなことも必要な場面が多いですから。

また、自然災害に巻き込まれたりした場合に、一刻も早く逃げないといけないような状況で、「どうやって逃げたら生存確率が最大化するだろうか?」とあれこれ脳内シミュレーションをしていたら助かるものも助かりません。考えるだけの時間がないときには、身体の感覚を頼りにしたほうがいい。

 

そして、「ノル」ということに関しても、頭より身体の時間感覚が重要になります。

頭が干渉してくると、身体の「反応」は止まり、頭の中の思考ばかりが膨らんでいきますから、「ただただ外界に反応し続ける流れ」(それが「ノリ」です)の中に身を置くためには、頭の時間感覚がでしゃばってこないほうがいいのです。

 

・・・な~んてことは、別に私がくどくどと言わずとも、誰もがなんとなくわかっていることだと思います。

この場合の問題は、「わかる」のは頭で、「動く」のは身体だということなんですね。

だから、ここにおいての頭の仕事は、「わかろうとし過ぎるあまり身体の邪魔をしないことが大事だ」ということを、せめてわかっておくことだろうと思います。

 

次の記事へ

前の記事へ