【合気道09/27】私達はおんなじ渦に含まれている

クラス:合気道

日 時:2014年9月27日(土)・9時~11時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:1名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送って継ぎ足
    • 継いで送り足
    • 送って継いで送り足

(休憩)

  • 受身
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 諸手取り呼吸投げ3種
    • 諸手取り四方投げ
    • 坐技呼吸法

 

雑 感

初めて土曜日に稽古を開催しました。

毎週土曜の午後は合気道の稽古に4時間も参加するので、その前に自分で教えると体力的にきついかと思い、これまで土曜午前は稽古をせずに来ました。

しかし、土曜は柔道場がけっこう空いていることも多いので、「日曜に場所を取れなかった場合、代わりに土曜にする」という選択肢を持っていられた方が、安定して稽古回数を確保できるのではないかと考え、この度、試しに取ってみました。

 

取ってはみたのですが、やはり私の体力的には厳しかったです。

それに、「日曜は来られるけれど土曜は忙しい」という人も当然いますから、参加者がどれくらいになるかも読めませんでした。

これからも土曜稽古を開催するかどうかは(やや後ろ向きに)考え中です。

 

さて、今回はレギュラーメンバーのうちの一人が参加。

久々のマンツーマンでした。

せっかくなので、いつもより細かいところまで動きのポイントを確認しました。

 

体術は諸手取り(こちらの片手を相手に両手で取らせる)をやりました。

うちの教室でやるのは初めてかと思いきや、ずいぶん前に一度やったことを参加者の方が覚えてました。

最初に教わったときによほどインパクトがあったのでしょうか、私は自分でノートも取っているのにどんどん忘れて行ってしまいます(私の場合、単純に稽古の回数が多いということもあるのでしょうが)。

 

諸手取りはこちらの片手を両手で取らせるので、腕力だけで相手をどうこうすることはできません。

身体の使い方はもちろん、取らせるタイミングや角度も工夫しないと、相手の身体は動かないです。

大きくはっきりと体を捌き、相手をこちらの動きの中に巻き込んでいくことがポイントになります。

 

相手を動きの中に巻き込むためには、「私達は二人とも大きな渦巻きに飲み込まれている」というような「感じ」を場に作り出す必要があります。

そして、曖昧に小さく動いていると「巻き込まれ感」は生まれにくいので、「場の空気」を変えるためには、しっかり足捌きができるかどうかがとても重要になります。

 

諸手取りに限らず、「自分が中心」でも「相手が中心」でもなく、「二人で一緒」に巻き込まれる感じというのは、合気道の体術において重要なポイントの一つです。

たとえば、自分のほうの立ち位置は固定しておいて、相手だけ引っ張り回そうとしても、全体の動きは鈍くなってしまいます。都合良く引っ張り回されると、誰しもそれに無意識の抵抗をするものだからです。

そして、受けの人がどれほど好意的に技を受けてくれていても、この無意識レベルの抵抗感は完全には消えないのです。

 

かといって、相手の都合にばかり合わせて自分だけが動き回っていても、一体感は生まれてきません。

自分一人でどれほど懸命に動き回っても、それだけだと相手の身体にこちらの力がなかなか浸透しないからです。

それでは、相手の状態を「表面」だけ変えることはできても、奥の方までは動かせません。

実際に触っているはずなのに、表面をツルツルと滑るばかりで深いところまで届かない。まるで片思いをしている中学生みたいな、非常にもどかしい気持ちになります。

 

このように、相手だけを動かそうとすると無意識的な反抗心を呼び起こしてしまうし、そうかといって、こちらが一人で動き回ってばかりいると、相手の身体から「自分の力で動いていく必然性」を奪ってしまいます。

二人の動きに一体感を生み出すためには、その中間地点に留まらねばなりません。

 

相手を引っ張り回すのも、自分だけ駆けずり回るのも、どちらも「相手をどうにかして動かしたい」という想いが自分の中にあるからこそしてしまうことです。

そして、この「相手を動かしたい」という願いによって、「動かす自分」と「動かされる相手」とがお互いが分裂してしまい、やがては「どっちのほうが相手のために動いてやっているか」という損得勘定と対立の構造が生まれてきます。

 

動きの中で一体感を生み出し育んでいくためには、損得勘定と対立構造の元になった「自分の中の想い」をいったん棚上げしないといけません。

「相手にこうあって欲しい」

「自分の働きに対してこういう風に応えて欲しい」

「そういう想いがあってはいけない」というのではなく、ただ一時的に棚上げする。

棚上げして、一緒に流れに乗るのです。

 

日常的な場面で言えば、それはたとえば「一緒に笑う」ということかもしれないですし、あるいは「一緒に泣く」ということかもしれません。

時には「相手を笑わせようと思って作為的に笑う」という場合もあるでしょうけれど、どこかでそういう「最初の思惑」を忘れてしまって、気づいたら無心で笑っていたということも、私達にはまたあります。

 

このようなとき、「自分の思惑」をいつまでも手放さずにいたら、心の中でなんとなく相手と距離を取ってしまい、「無心で笑う」ということはきっと難しいです。

どこかで「自分の思惑」を自分で忘れてしまうくらい、「笑う」という行為に巻き込まれないといけない。

 

しかし、そこまで深く巻き込まれて誰かと一体感を感じることは、そうそう頻繁にはありません。

合気道の稽古のようなシンプルな状況設定であっても、巻き込まれることはたいへん難しいことです。

なぜなら、あまりに深く巻き込まれてしまうと、自分の身を守ることができるかどうか、相手のことを傷つけてしまわないかどうかが、完全には予測できなくなってしまうからです。

 

でも、自分は巻き込まれずにいて、相手だけを巻き込もうとしても技はかかりません。

怖いですけれども、自分のほうがまず動きの中に巻き込まれていないと、お互いの間に微妙な「裂け目」が残ってしまうことになります。

 

ところで、この「巻き込まれ体質(今名付けました)」を涵養する上では、足捌きの稽古とかもけっこう有効なのではないかと思います。

手順がわかってもわからなくても、とにかく周りの人たちの真似をしてリズミカルに足を動かし続けることで、軽いトランス状態に入ることがあるからです。

あれも一種の「巻き込まれ状態」と言えると思います。

 

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