【合気道11/02】私達は触れる前から触れている

クラス:合気道

日 時:2014年11月2日(日)・17時~19時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:6名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 線を換える送り足

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入り身投げ
    • 逆半身片手取り四方投げ
    • 逆半身片手取り小手返し
    • 逆半身片手取り呼吸投げ
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

この前の火曜稽古では、間合いについていろいろ確認しました。

その時は、お互いが触れ合う形をあえて作ってから一歩退き、再び踏み込んで技に入ることで、「あと一歩で相手と接触する距離」を身体で覚える練習をしましたが、今回はその続き。

向こうから飛んできたボールを受け取るように、相手の流れをキャッチするように意識して体術の稽古をしました。

ボールが来てからグローブを構えても球は捕れません。

前もってキャッチできる態勢を整えておくことが大切なのです。

 

ところで、そもそもどうして「受けに手を取らせる」ということがそれほど重視されるのか?


よほど腕っ節が強ければ話は別かもしれないですけれど、基本的に、相手がこちらの間合いに入ってきて手を掴まれてから、「ハッ」と気づいて技をかけようとしても、もうどうにもならないものです。

掴まれた腕を通して身動きが取れないように抑え込まれてしまうからです。


一度後手に回ってしまうと、動こうとするたびに相手にその動き出しを抑えられ、逃げようとしても引き留められます。

たとえ相手にこちらの動きを咎める気がなくても、必ずそうなります。

後手に回るというのは「そういうこと」です。


それゆえ、合気道の稽古では、なるべく初心の内から「自分から手を取らせる」ということを心がけていただきたいのですが、「言うのは簡単だけど実際やるのは難しいよ」と思う人も多いことでしょう。

「手を取らせる」のが難しく感じられる理由はいろいろあります。

まず一番大きい理由が、焦りです。

 

相手がだんだん近づいてくる。

「手を取られてはいけない」と思う。

思うのだけれども、最初の一歩をいつ踏み出したらいいものかわからない。

そうこうしているうちに、いつのまにか相手が目の前に来ていて、頭が真っ白になってしまう。

 

これでは「手を取らせる」どころではありません。

普段なら考えなくても出る足も、焦っていると畳に足裏がはりついたかのように動かなくなってしまいます。

人間の身体というのは、本当にわずかな気の焦りで固まってしまうものなのです。

 

このとき、人はまだ接触していない段階から、焦りを感じ始めています。

「あ、相手がこちらに近づいてきた」と思ったときに、すでに圧迫感と不安感が兆し始める。

圧迫感と不安感に襲われながらも、稽古ですから逃げるわけにはいきません。

そのような逃げ場のない状況で「なんとかしなければ」と思うと、余計に焦ってしまいます。

 

ここで重要な点は、「まだ接触していないうちから焦りの兆しがある」ということです。

相手に手を掴まれてから、「えらいこっちゃー!」となって大慌てするような人はまずいません。

だいたいにおいて本人も傍で見ている人も、まだ触れ合わないうちから「あ、これはダメっぽいぞ」ということが、前もってわかる。

 

なんでわかるかと言えば、「身体が触れる前に触れることのできる力」が私達にはあるからです。

たとえば、幅の狭い歩道を歩いているときに、向こうから荷物をいっぱい抱えた人が歩いてくるのが見えたとします。

そういうとき私達は「あ、これはこのまま行くとぶつかりそうだぞ」ということが前もってわかりますね。

それで、ぶつからないように歩道から出られればよいのですけれど、横に脇道もなく、左右は高い塀と絶え間ない車の往来とで塞がれているというような「逃げ場のない場合」には、私達は一種の圧迫を感じます。

この圧迫感はお互いの距離が近づくにつれ高まっていき、身をよじるなり道を譲り合うなりしてなんとかすれ違うと、途端に消失します。


このとき、私達は「触れる前から相手にぶつかっている」ような感じを持ちます。

物理的に相手の身体に接触する前から、すでに「何か」が当たっている。

おそらく私達は、自分と相手の体格やお互いの移動速度、周囲の物の配置やその移り変わりなどの情報を無意識にザーッと拾って、「あ、なんかあのへんでぶつかりそう」という判断を身体レベルで下しているのです。

 

これは誰もが普段から使っている、一種の「予知能力」です。

そして、この予知能力に支えられて、私達の身体は働いています。

人間だって動物ですから、壁や柱に身体がぶつかる前に「ぶつかったときの体感」を先駆的に持つことのできる力があります。

「壁まであと何メートルあって、自分の移動速度はこれだけだから、もう5秒くらい直進したら進路を変えよう」とかいったことを考えないと障害物を避けられない生物がもしいたら、よほど安全な環境でもなければ生き残ることさえできないでしょう。

 

野良猫を観察していると、この予知能力が非常に鋭敏で驚かされます。

さっきまでまどろみながら欠伸をしていたかと思うと、人が近づく気配がした途端、パッと臨戦態勢に入る。

そして、こちらがある一定の距離に近づくまでは、動かずに様子を見ています。

あたかも、近づいてくる人間が抱いている敵意や欲望や好奇心などを、肌で感じ取りながら推し量っているかのようです。

そのままこちらが距離を詰めていくと、あるポイントまで来たところで、一瞬で方向転換して逃げていきます。

「これ以上距離を詰められると、この人間からは逃げることができなくなる」ということが、実際に距離を詰められる前からわかるからです。

 

これはサバンナの草食動物も同じで、肉食獣がすぐ目の前に来てから「えらいこっちゃー!」と慌てたりはしませんよね。

間合いを詰められる前に気配を感じて逃げ出します。

そうでないと生き残れないからです。

命の危険がない安全な場所で生活していると、こういう「気配を察する能力」はかなり低下しますが、それでも電柱やら通行人やらを頭で考えずに避けられている人なら、きちんと予知が機能してはいます。

そして、合気道で手を取らせる際にもこの力を使うのです。

 

別にこれは「特別な力」ではなくて、人間である以上は誰もが持っている力です。

少なくとも、手を取られて身動きができなくなる前から「あぁ、これは手を掴まれてしまいそうだな」と予知して不安になることのできる人であれば、同じ力を反対方向に使うことで、「手を取らせること」もまた可能なはずなのです。

つまり、予知能力を消極的な方向ではなく、積極的な方向で使うわけです。

 

具体的には「相手によって手を取られる未来」ではなく、「自分から手を取らせる未来」を明確に思い描きます。

「このへんでこういう仕方で手を取ってもらう」という風に断定し、「手を取ってもらうときの体感」をありありとイメージします。

 

不思議なもので、未来を具体的な体感を伴ってはっきりイメージできると、本当にその通りになります。

あまりにも明確に想像された未来のイメージは、現在をそこに向かって引っ張り込む力を帯びる。

「あ、ぶつかりそう」と思うと、まるで魅入られたようにぶつかりにいってしまうのと同じように、「あそこで取らせる」としっかり意識して定めると、そこに向かって身体が吸い込まれていきます。

人間の身体と意識には、未来に向かって現在を自動で調整する機能があるからです。

 

…とかいうと、「なんだか胡散臭いなぁ」と思うかもしれませんけれど、そのへんは実際にお稽古で試していただくと身体で納得できるかと思います。

 

はっきりと意識の中で手を取らせてから手を出す。

意識の中で斬ってから斬る。

意識の中で投げてから投げる。

 

そのイメージが具体的な体感を伴っていればいるほど、取り受け双方の身体はそこに吸い寄せられていきます。

連想行によってイメージの隙間をなくし、投げるときの体感が手で触れられそうなほどリアルに思い描けたならば、実際に身体が動き始める前からその技はかかっているも同然です。

お試しあれ。

 

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