【合気道11/18】必要なのは「気づき」だけ

クラス:合気道

日 時:2014年11月18日(火)・15時~17時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:5名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 歩み足
    • 回転
    • 転換

(休憩)

  • 受身
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 両手取り天地投げ
    • 両手取り四方投げ
    • 両手取り一教
  • 輪になって呼吸

 

希望者のみ居残り稽古(17時~18時)

参加者:4名

 

内 容

  • 木刀の素振り
  • 両手取り四方投げ
  • 両手取り一教
  • 両手取り小手返し
  • 輪になって呼吸


雑 感

だいぶ寒くなってきました。

うちの教室はそもそも主宰の私自身が寒さにそれほど強くないため、「寒くても気合いで乗り切れ!根性、根性!」とかいうことは申しません。

ヒートテックを道着の下に着用されても、貼るカイロを懐に忍ばせていても、私は何も言いません。

「足が冷たい」という方は、うちの教室での稽古に限り、足袋を履いて参加していただいても構いません(靴下はさすがにNGですが)。

足袋を履くと滑りやすくなりますが、そのぶん床を蹴ったり踏ん張ったりできないので、運足における重心の偏りも自然と矯正できて一石二鳥です。

 

さて、今回も寒かったわけですが、私自身は(珍しく)熱く燃えておりました。

このところ個人的に気づいたことが色々あり、お伝えしたいこともたくさんあったのです。

 

しかし、そうして「あれも、これも」と気持ちは前のめりになりながらも、課題の提示においては一方的に投げつけるような仕方にならぬよう、参加者のペースを見つつ少しずつ取り組んでもらいました。

内心もどかしかったですが、教室は私の感情を発散する場所でなく(そりゃそうだ)、「師から受け継いだ教え」と私自身の「個人的な気づき」を伝え、共有するための場なのですから、丁寧に稽古を進めていくことが何より優先されてしかるべきです。

 

とはいえ、今回も中心に置いたテーマはいつもと同じで「自分から相手に手首を取らせること」でした。

これは「場を主宰する」という風に言い換えても良いです。

相手にガッと腕を掴まれてから「さあ、どうしよう」と言って慌てたりせず、自分から場を創っていくのです。

 

この「慌てない」ということが武道では本当に大事です。

たとえ腕を掴まれても慌てない。

どうしても慌ててしまうようであれば、時間を取って気持ちが落ち着くのを待ちます。

 

たとえば、この前の週の稽古では、「手を取られた状態で焦りが強くなってきたら、相手と一緒に一回深呼吸してください」と言いました。

「実戦ではそんな悠長なこと言ってられないだろ」と突っ込む人がいるかもしれないですが、別に私達の稽古の目的は、道ばたで誰かに襲われたときに相手を投げたり固めたりできるようになることではないです。

そんな能力をいくら鍛えても、現代日本の平均的な社会生活者にとってまったく汎用性がありません。

 

いったいどれだけの人が、自分が緊張してきたとき、そのことに冷静に気づいていることができるでしょう?

たとえば、大勢の前で話している最中に緊張して頭が上手く働かなくなってしまった時などに、「少しだけ気持ちを落ち着かせるための時間をください」と言ってゆったり深呼吸することは、誰にでもできることではありません。

 

「生きるか死ぬかの実戦ではそんなの通用しない」と言われるかもしれないですが、自分の焦りをちゃんと受け入れて、なおかつそれに振り回されないでいられることは、立派に「一つの技術」です。

そういう「受容的な態度」が取れないうちから「焦るな」とだけ言っていても、「自分は焦ってなんかいない」という取繕いのための虚勢が助長されるばかりです。

 

掴まれたっていいです。

焦ったっていいです。

 

でもその代わり、落ち着くための時間を持ちましょう。

そんな風に「落ち着くまで待つ」という方針をきちんと相手に提示できるのであれば、それもまた「場を主宰している」と言っていいと私は思います。

 

自分は何をしたいのか。

いったいどこに行きたいのか。

誰に何を告げたいのか。

 

それらは、最終的には自分自身で気づくことです。

「どう動くことが正解なのか」ということを考えても仕方ありません。そもそも教えている私だって「正解」なんて知らないんですから。

私に言えることは「自分はこういうことを師から学んできて、これから皆さんをこういう方向に導いていこうと思っています」ということだけです。

それを聞いて私の示す方向に行くか止めるかは、参加する方一人一人がご自分で決めることです。

私には何も強制できませんし、する気もありません。


なので、「正解」を(私を含め)他人に決して尋ねないことです。

私は「指針」と「方法」を与えることはしますが、「正解」を与えることはしません。

なぜなら、「正解」は教師の頭の中にではなく、一人一人の身体の中にもうすでに在ると信じているからです。

 

「気づくこと」が生徒の側の仕事です。

実際、最近私が気づいたことの九分九厘は、合気道の道場に入門したての頃から何度も師に言われてきたことです。

「『真理』はいつも目の前にある。足りないのは、ただ『気づき』だけ」です。

 

なので、稽古に来る際には、私から「正解」を教わることを目的にはせず、「今日はこういう気づきがあった」とか「ここがわかっていなかったことがやっとわかった」とか、そういう「個人的な発見」をするためにこそ参加するのだという心構えを、どうか忘れないで欲しいと思います。

人は「ああ、まだまだわかってなかったな」ということがわかるからこそ、「次のわからないこと」に出会えるんです。

新しい「わからないこと」に出会うのは、それだけその人が先に進んだからです。

退歩したからじゃない、成長したからです。

 

「正解」はたぶん一生わかりません。

「ああ、自分は今までこれもわかってなかったんだな(昔から何度も言われてきたことだったのに)」という風に、ひたすら気づき続けるだけです。

「そういうのって、つまんないな」と思う人は、おそらく武道に向いてません。

 

でも、皆さんはそうじゃないですよね?

 

次の記事へ

前の記事へ