【合気道12/07】活かすことと殺すこと

クラス:合気道

日 時:2014年12月7日(日)・17時~19時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:3名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送って継ぎ足
    • 継いでから送り足
    • 送って継いで送り足
    • 線を換える送り足
    • 継いで線を換える送り足

(休憩)

  • 受身・膝行・転換
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入り身から導いて気を通す
    • 後ろ両手取り呼吸投げ(自分と相手を開くイメージ)
    • 後ろ両手取り入り身投げ2種(相手の影になる)
    • 後ろ両手取り四方投げ(投げようとせず、ただ運ぶだけ)
    • 後ろ両手取り呼吸投げ(相手が倒れていく線を感じる)
    • 後ろ両手取り二教表(二人の腕を一つにする)
    • 後ろ両手取り呼吸投げ(相手の気持ちを未来へ引き出す)
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

4日のダンスクラスが参加者ゼロだったので、そのぶんの稽古日誌は飛ばして書きます。

また、今月から水曜の稽古も始まるので、今後はさすがに全部の稽古やレッスンの記録をアップする時間的な余裕はないかもしれません。

まあ、無理のない範囲で書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

さて、今回は一ヶ月以上ぶりの日曜稽古でした。

先月は私の予定と柔道場の空き状況が噛み合わず、たった一回しか日曜稽古を開催できなかったのです。

日曜の稽古しか来ることのできない人もいるので、最低でも月二回のペースはキープしたいところですね。

 

この日の参加者は、甲南合気会からの2名と、うちの門下生1名で計3名。

経験者ばかりだったので、技をたくさんやりました。

前もって決めていたテーマがあったのですが、参加者の顔ぶれを見ていたら他にやりたいことを思いついて、途中からそっちにシフト。

全体としては、「皮膚の感覚を敏感にすること」と「相手の敵にならないこと」を繰り返し意識してもらいました。

 

特に、「敵にならない」ということは最近の私のテーマでもあります。

人間も生物なので、感情や思考より手前に、本能的な働きがあります。

それゆえ、たとえ感情レベルで相手がこちらに敵意や憎悪を向けていたとしても、身体レベルで私のことを「敵」と判断していなければ、相手の至近距離まで一気に踏み込んでいくことができます。

 

たとえば、こちらが「投げよう」「打とう」「倒そう」と思って相手に近づくと、どこかの段階で私の身体には「攻撃」の兆候が現れ始めます。

強い打撃を放とうとして足を踏ん張り、肩や腕を力ませて、表情筋を強張らせ始める。

この上さらに相手に対して個人的に嫌悪感や敵対心を持っている場合には、呼吸数や心拍数もかなり変化するでしょうし、おそらくそれに相応しい体臭を放つようにもなるはずです。


こういった私の側の変化は、相手の身体には「この近くに敵がいる」というサインとして識別されます。

そして、頭で判断するより前に、生理的な反射のレベルで私のことをその人の身体は「敵」として認識し、防衛反応を起こすようになる。

こうなるともう何をやっても抵抗が生じてしまい、私程度の腕力では、相手を投げるどころではなくなってしまいます。

 

だから、相手の内側に潜り込むためには、「敵」として認識されるようなことを一切してはいけません。

相手の身体を欺いて、瞬時に入身するためには、これと逆のことをします。

つまり、「投げよう、打とう、倒そう」ではなく「包んで、撫でて、支えよう」とするのです。

 

自然界において、前者は「敵」の取る行動パターンに属しており、後者は群れのリーダーや自分の親などの「保護者」が取る行動パターンに属しています。

そして、生物の本能には「敵」を警戒するための反射反応は組み込まれていますが、「自分を守ってくれる存在」に対して自己防衛するためのプログラムは搭載されておりません。

そこを逆手に取るわけです。

 

相手を即殺できる距離に入るのは、普通は難しいです。

それは、こちらの「攻撃しよう」という気持ちが外部に兆候化することで、相手の身体に防衛反応を起こさせてしまうからです。

その「バリア」を無効にするためには、相手の身体にこちらが「敵」ではなく「保護者」として認知されていないといけない。


「相手と敵対しなければ、一撃必殺の間合いに入れる」というのは、経験的には確かなことです。

でも、私達は別に誰かを殺すために合気道を稽古しているわけではありません。

あくまでも、自分を活かし、相手を活かすための道を探っていくために、合気道を稽古しているのです。

 

「活かすこと」と「殺すこと」は表裏一体の関係にあります。

「殺せる間合いに入れる」ということは、裏を返せば、「それだけ相手のことを深く理解できるところまで踏み込める」ということでもあるからです。

相手の身体とのある種の「親密さ」がなければ、身を近くまで入れることはできません。

入身投げがうまくできなくて、どうしても相手から離れてしまう人というのは、この「親密さ」の形成に失敗しているのです。

 

相手の身体は何を欲求しているのか。

その姿勢の歪みは、いったい何を表現しているのか。

 

そういったことを読み解くためには、相手の身体と「親密」な関係にならないといけません。

「敵」に対しては誰も身体情報を漏らしたりなんかしませんが、一度「味方」になってしまえば、かなり潤沢なデータを相手の身体は提供してくれるからです。

 

そして、そのデータを使って相手の心身を破壊すれば「殺法」だし、反対に、それらを利用して相手の生命力を伸ばせば「活法」となります。

相手を「活かす」ことができるようになるためには、「殺し方」がちゃんとわかっていないといけない。

私はそう思います。


大方の人は「殺し方」じゃなくて、「中途半端な壊し方」を目指して稽古をしています。

たとえば、「相手の腕を痛めてやろう」とか「力一杯ぶん投げてやろう」とか、そういうことを最終目標だと思っている人がいますが、そんな程度のことでは人間は死にません。

 

だから、幸か不幸か、「あ、今ならこの人殺せる」というくらい深くまで相手の奥に入ってしまうということも起こらない。

殺せるところまで入れないから、活かし方もわからない。

これはコインの裏と表なのです。

 

なんだか物騒な話になっちゃいましたけれど、私はまだ殺法については研究し始めたばかりなので、具体的な技術についてはよく知りません。

でも、「相手の命を握ってる感じ」は稽古の中で時々味わうことがあります。

反対に、「相手に命を握られている感じ」は稽古以外の時間も含めて四六時中味わってます(「あ、今オレ死んだ」ってやつです)。

 

合気道に限らず、武道の稽古って「そういうこと」の繰り返しだと思ってます。

そして、死んだり死なせたりを形稽古を通してバーチャルに反復することで、「そうではない道」を模索していくことが、現代における武道にとって大事なことだと思っているのです。

 

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