【合氣道12/10】氣持ちを出す

クラス:合氣道

日 時:2014年12月10日(水)・15時~17時

場 所:芦屋市立体育館・青少年センター柔道場

参加者:6名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送ってから継ぎ足
    • 線を換える送り足

(休憩)

  • 受身・転換
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り歩み足転換から氣を通す
    • 逆半身片手取り入身投げ
    • 逆半身片手取り四方投げ
    • 逆半身片手取り一教
    • 逆半身片手取り呼吸投げ
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

芦屋での初めての稽古でした。

最初なので、何人くらい参加者が集まるか予想がつかなかったのですが、甲南合気会からと神戸女学院の合気道部からそれぞれお一人ずつ出稽古に来られて、なかなか賑わいました。

 

やはり王子に比べると稽古しやすい環境です。

スペース的にも広すぎず狭すぎずちょうどよいし、ちゃんと柔道場の奥が北側になっているので、そこを正面として結界を作るとかなり場の均整が取れます。

そして、一番大きいのは「寒くない」ということ。

稽古が終わる頃には少し汗をかいたくらいです。

 

芦屋の柔道場は予約のシステムが少し面倒なのですが、環境はすごく良いです。

施設の受け付けに教室のチラシを置いてもらえるそうなので、来年は芦屋メインの会員を増やしていくことも目標にしつつ、地道に芦屋での稽古を続けて行こうと思います。

 

さて、今回のテーマは「氣持ちを外に開くこと」でした。

ところで、既にお氣付きかもしれませんが、今回の記事から「あいきどう」の「気」の文字を「氣」に変えることにしました。

実は最近、合氣道や神道関係の本をちょこちょこと読んでいて知ったのですが、「気」と「氣」では方向性が違うのだそうです。

 

「气」という部分は蒸汽、あるいは宇宙の天体を意味し、その中の「メ」は閉める、閉じるという意味、「米」は四方八方に広がる、開放するという意味を持ちます。

つまり、「気」という文字は内側に閉じていく方向、「氣」は外へ外へと開いていく方向を持っているということになります。

方向性が「気」と「氣」では真逆なのです。

 

私は文字や言葉がほとんど「物理的な力」を持っていると感じています。「信じて」いるのではなく、「感じて」います。

書かれた言葉も話された言葉も、それを受け取った人を動かすというときには、観念的にではなく、ダイレクトに身体へ働きかける力を持っているものです。

なんでもないような挨拶の言葉でも、こちらの身体にちゃんと当たる場合と、相手に届ける氣がないまま、たんに音だけ発している場合がある。

 

これは誰でも感じるはずです。

たとえば、あたかも大事な贈り物を手渡すように、丁寧に氣持ちを出して挨拶をするコンビニの店員さんにはいまだかつてお目にかかったことがないですが、お客さんのほうもいちいち氣持ちを出して受け答えなんてしていませんね。

お互いに、「氣持ちを開く」のではなく「気持ちを閉じる」という方向で人と話すのがデフォルトになっているからでしょう。


街角でテッシュやビラ配りをしている人を観察していても、きちんと氣持ちを出して渡そうとしている人はほとんどいません。

自分で経営しているお店の宣伝や、自身の政治的な活動の一環でやっているならまだしも、いかにも小遣い稼ぎのバイトで「やらされている」というような人は、まったく氣が出ていません。

でも、それは仕方の無いことです。

だって、自分の中に必然性がないことをしていて氣持ちが出るわけがないし、いくら真剣に渡そうとしても、氣持ちもビラも相手にほとんど受け取ってもらえないのですから(なお、注意深く観察してみると、「ビラは受け取っていても、氣持ちは受け取っていない」というケースもしばしば見受けられます)。

 

それから、たぶん渡そうとして差し出した相手の9割くらいの人から、渡す人は「そこに存在しないもの」、あるいは街角の自動販売機とかと同じような「機械」として扱われます。

だから、「生活のために嫌々ビラ配りをやっている人」は、やればやるほど顔つきが「機械」に似てくると思います。


話が脱線しましたが、私達は氣持ちを出したり、気持ちを閉じたりしながら日々生活しています。

本当に「相手へ自分の想いを届けたい」と思うときには、自然とそれに適した姿勢になっているし、氣持ちも外に出ているものです。

反対に、「この人と一緒にいたくない」とか「自分の中に誰も入ってきて欲しくない」と思っているときには、やっぱりそういう姿勢になっているし、気持ちは内に閉じています。

 

思い返してみてください。

あなたが大切な人に贈り物を届けたときのこと、好きな人に思い切って告白したときのことを。

その時、あなたはどういう姿勢をしていましたか?

「こんなことするの恥ずかしいなぁ」とか「断られたらどうしよう」とかちょっとでも思っていたら、たぶんあなたの腰は少し後ろに引いていたでしょう。

でも、「たとえ断られたとしても、自分は相手とかかわりたいんだ」と腹を決めていたならば、きっと腰が入った状態で息も深く吸えていたはずです。

そして、そういう姿勢なら氣持ちは自然と出ているものです。

 

私がお稽古の中で「あなたのキモチは今ここにあります」とか「キモチを引かないでこっちにください」とか言うのは、「これ」を見て言っているのです。

当てずっぽうで言ってるわけじゃない。

ちゃんと見えるから言っているのです。

 

別にこれは特別な能力でもなんでもなくて、「相手ときちんと関わろう、向き合おう」と思って手を出しているかどうかくらい、見ようと思えば誰でも見えるはずです。

合氣道はお互いに氣持ちを出し合うことが稽古の前提になっています。

だから、気持ちを閉じて相手とかかわる氣がない人には、技がかかりません。

そういう人には技をかける必然性がないので、動きが生まれてこないんですね。

それは、こちらと一緒に演奏しようというキモチがない人と合奏することができないのと同じ話です。

 

でも、「氣持ちを出す」ということほど、現代人にとって難しいこともないです。

人が人を機械のように扱って平気になっているのが今の日本です。

誰もが「機械扱いされること」や「拒絶される痛み」を恐れて、気持ちを引っ込めて生活しています。

 

私はその現状こそが恐い。

心を開き、人間らしい在り方を思い出すことのできる場を少しでもいいから創りたいと、願っています。

私の教室はそのための試みをする場所でもあります。

 

心と身体を開いて、四方八方に広がるように氣持ちを出す。

「そういうこと」をしても傷つかないで済むような場所を増やしたい。

 

そう思って、「気」と「氣」の両方の字を意味によって使い分けていくことに決めました。

ちょっと読みにくいかもしれないですが、私がどっちの意味をそこに込めたいと想っているのかを汲んでお読みいただけますと嬉しいです。

 

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