【ダンス01/08】当たり前のことを大切に

クラス:ダンス

日 時:2015年1月8日(木)・19時~20時40分

場 所:コミスタこうべ302号室

参加者:4名(内1名は見学)

 

内 容

  • 足裏と脚に息を通すグルーミング
  • 手と腕に息を通すグルーミング
  • 肩の力みを取る
  • 鳩尾を緩める(邪氣の吐出)
  • 重心を下腹に落とす(丹田呼吸)
  • 正坐で丸める・反る
  • 四つん這いで丸める・反る
  • 正坐で伸ばす・縮める
  • 合蹠で伸ばす・縮める

(休憩)

  • 「意識」についてのレクチャー
  • 意識操作(3種類の腕)
  • ダンス
    • 腕のポジションを練習(ポール・ド・ブラ)
    • プリエとルルベ(1番ポジションのみ)
    • ダンスステップ2種
    • ステップから繋げて振り付け練習

 

雑 感

ダンスクラスの初レッスンです。

先に記しておきますが、今回の記事は主に昨日のダンスクラスに参加した方と、合氣道クラスの会員の方に向けた内容となっております。

PLATFORMの稽古やレッスンに参加したことのない人には、理解しづらい部分(というか、実感しづらい部分)もあるかと思いますので、読まれる方はあらかじめご了承ください。

 

ということで、書きます。

 

先月末、ダンスクラスに新しい会員の方が入られたので、今回はレッスンの途中で、「PLATFORMの重要テーマ」である「意識」について説明を行いました。

というのも、これについて説明しておかないと、私が行っているレッスンの目的がはっきりしないからです。

 

レッスンの目的がわからなければ、どうしてダンスの教室で呼吸法やら瞑想法をするのかも理解できないでしょうし、理解できないことを続けるのは人間には難しいです。

なので、私がPLATFORMでのレッスンや稽古を通じて参加者の皆さんに感じて欲しいと思っていることを、新入会者を迎えた新年のこの機会に、一度体系的にご説明しておいた方がよいかと思った次第です。

 

もちろん、言葉で説明して「ふーん、そうか、この人はそういうことが伝えたかったんだ」ということがスルッとわかるというようなことはまず起こらないでしょう。

参加者一人一人がご自分の体験を通して理解したとき初めて、「あ、そうか!」と腑に落ちると思いますが、それまでには今少し時間がかかると思います。

そして、その時には、私がどうしてこんな「当たり前のこと」を伝えるのに必死になっているのかも、理解してもらえると思っています。

 

そう。私がお伝えしていることはどれも、わかってみれば「なーんだ」というような「当たり前のこと」なのです。

しかし、そのような「あまりにも当たり前すぎて見過ごされてしまっていること」に、あえてスポットライトを当てているのがPLATFORMの特徴でもあると私は思っています。

 

たとえば、合氣道クラスの会員の方は、私が稽古の中で「日常的な動作」を比喩として説明に使っているのを、耳にしたことのある人がいると思います。

「そこにあるリンゴをもぎに行ってください」とか、「向こうにあるボタンを押しに行ってください」とか、そういう「何でもない動き」を、私は手順がわからなってしまっている人への説明によく使います。

それで私の言った通りのイメージで動いたら、難なく技がかかって拍子抜けしたという経験をした人もいると思います。

 

こういうとき言われた通りにやった当人は、「先生がいたからたまたまできたんだろう」と思ったかもしれないですけれど、そうじゃないですよ。

まぎれもなく、それは「当人自身の力」で成し遂げたことです。

 

これは、どれだけ強く言っても足りないくらいに重要なポイントです。

「手順を間違えないように」とか「相手に迷惑をかけたくない」とか「失敗して恥をかきたくない」とか、そういうことを瞬間的に全て忘れて、一つの目的に向け意識を集中したことで、その人の身体は「全体が一つのまとまりして働ける状態」に自然となっていたのです。

 

手順がわからなくなっているときに、細かく動きを分解して説明されても(たとえば、「ここで後ろ足を左斜め前方に出して、そのとき腿の前面の力は抜いて、腰を落として…」とか言われても)、道に迷っている人は余計に混乱するものです。

そういう説明は、人間の身体をバラバラに分けていくことにはなっても、「一つにまとまった状態」へと統合するのにはあまり有効ではありません。

そして、「今持っている力」を最大限に発揮するためには、身体をバラバラにしてしまうのではなく、反対に、全身を「一つの目的」に向けて一致団結した状態に持って行く必要があるのです。

 

というと難しそうですが、日常的に私達はそういうことをずっとやっています。

たとえば、脚や腰などにちょっとした痛みがあるとしましょう。

こういうとき、たとえその部位の痛みや違和感はわずかであっても、どことなく立ち方や歩き方がぎこちなくなってしまうものです。

実際、腰痛や膝痛になったり、足首をひねって痛めたりすると、こういうことは強く実感されます。

 

立ったり歩いたりすることは、普段であれば「当たり前の動作」ですけれど、これをロボットにやらせるのは至難の業です。

そもそも足裏の面積なんて、両足を合わせても人間の体表全体の1/100~1/90程度しかありません。

たったそれっぽっちの面積に、私達は全体重を乗せて立っているのです。

 

しかも、生きている限りは内臓だって動いているし、呼吸による空氣の出入りもあるし、心臓と血管は片時も休まず全身の血液を動かし続けています。

つまり、人間の身体というものは外側の動きを意識的に止めている間でさえも、常に動き続けているわけです。

そういった細かい変化にも対応して、不意に倒れないよう重心をコントロールし続けることは、考えてみれば「ものすごいこと」です。

 

さらにいえば、一番上に乗っかっている頭の重量は成人では4キロ~5キロほどもあるのです。

5キロのお米の袋を想像するとわかりやすいですが、こんな重くて大事なもの(自分の身長分の高さからでも倒れて頭を打てば人は死にます)を、常にバランスを取って私達は首の上に据え続けている。

ものすごい「度胸」と「バランス能力」だと思います。

 

ここから歩くとなったらもっと大変で、前後左右に移動しながら、右足と左足のあいだで休むことなく重心のキャッチボールをしないといけません。

膝がちょっと痛んだり、腰がなんだかしっくりこないだけで、立ち方・歩き方がぎこちなくなるのも当然の話です。

 

でも、私達はこの「奇跡的な運動」をごく当たり前にやっていて、それを特に不思議に思うこともありません。

だから、新しいダンスのステップや合氣道の足捌きを習ったときに、足がうまく動かずよろめいてしまったりするとビックリするのです。

突然おとずれた「あ、動けない!」という実感を通して、それまであった「奇跡的なバランス」が失われたことに氣付くからです。

 

こういうとき、「ちゃんと立つためにはどこそこの筋肉をこう使って、こっちの関節をここまで曲げて…」という具合に身体を分解して立て直すのも、一時的には効果があるかもしれないですが、別に私達は障害を負ったから動けなくなったのではありません。

ただ、「すでに持っている力」をうまく使えなくなっているだけです。

 

西洋的な解剖学では、人間の身体は筋肉600骨200から成るとされていますが、それらを「立って歩く」ために一致協力させて使うなんていう「ものすごいこと」が、いつもは自然とできている。

だから、「その力」がどんな状況でもちゃんと機能するように持っていければ、それだけで私達の身体は十分に高いパフォーマンスを発揮できるように初めからできているのです。

 

もちろん、手順を覚えることは重要です。そこを飛ばすわけにはいかない。

動きの順番を覚えないうちから、「全身を協力させて」と言っても無理です。

手順がわからないうちは、誰しもそんな余裕は持てないでしょう。

 

練習によって手順を覚えれば、氣持ちに余裕が出てくるので、私達は「本来持っていたバランス能力」を徐々に取り戻していきます。

普段立って歩くときと同じような緊張感と筋肉の状態で、踊ったり体を捌いたりできるようになってくる。

 

でも、手順を覚えた動きをそのまま漫然と反復するだけだと、私達はついつい「省エネ」しようとします。

つまり、「今の自分が持っている力」を出し惜しみするようになる。

「この動きはもう知ってるから、こんな程度でよかっぺ」という手抜きをし出すのです。

これは個人個人の性格がどうこうではなく、多かれ少なかれ誰もが持っている心の傾向なので仕方がないです。

 

でも、そういう風に「やってもやらなくてもいいけど、まあやっとくか」という曖昧な意識状態では、「自分の心身が持っている力をさらに引き出す」という方向へは進んでいくことができません。

たしかに、たくさん練習していっぱい動きの手順を覚えれば、身体は器用に動くようになるかもしれないし、できる動きも増えていくでしょう。

でも、そういうことをいくら続けても、動き一つ一つに「深さ」が出てきません。

これは「その人独自の味」と言ってもいいです。

「身体の使い方」だけをたくさん覚えても、それに対する「意識」が深まっていかないと、「その人らしさ」は生まれてこないのです。

 

そういう人は、「カードゲームで手札はたくさん集めたけれど、それらをどう使ったらいいかがわからなくなっているプレイヤー」のようなものです。

「持ってる手札」は多いけれど、選択肢があまりに多すぎて「手札の使い方」に自分なりの明確な方針が立てられない。

それゆえ、いつも迷ってばかりで「プレイの仕方」にも個性が出てこないわけです。

 

そういう人は「そもそもなんで自分は今ここでこのゲームをプレイしているのか?」という問いに対する答えを、自分の中に持っていません。

「自分はこのゲームをプレイするために今ここに居るのだ」という深い納得感がないままに、決断を先延ばしにして手札を睨んでばかりいるから、ゲームをしていても楽しめないし、プレイに深く没入することもできないのです。

 

「何をしているか」が大事なのではありません。

「どういう意識でそれをしているか」が大事なのです。

 

PLATFORMでは、その「当たり前のこと」を身体を通して理解してもらうための方便として、ダンスや合氣道の「身体操作」を練習しています。

参加される方々は、どうしても「身体の使い方」に目を奪われてしまうと思うのですが、私がしたいことの本体は、そっちではないのです。

 

いったい私が何を目指してレッスンや稽古を組み立てているのかについての説明は、これからも随時していくつもりです。

もしそれを「理解したい」と思われる方は、ぜひ続けてレッスンやお稽古に通っていただきたいと思います。

 

けっきょく宣伝。

 

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