【ダンス01/15】感覚の深化

クラス:ダンス

日 時:2015年1月15日(木)・19時~20時30分

場 所:コミスタこうべ302号室

参加者:2名

 

内 容

  • 足裏と脚に息を通すグルーミング
  • 手と腕に息を通すグルーミング
  • 手の指先に意識の火を灯すワーク
  • 手の平で呼吸する
  • 横座りで丸める・反る(骨盤の中で重心移動)

(休憩)

  • プリエとルルベ(上下の意識)
  • ダンスステップ2種
  • 振り付け練習

 

雑 感

ここ一月ほど、レッスンの前半は感覚に集中する内容のワークを多めにおこなっています。

というのも、「感じる力」がついてこないと、「意識」によって心身を統御することもできるようにならないからです。

 

私の言っている「意識」は心理学の用語としてのそれとは、ちょっと意味が違うかもしれません。

私の言う「意識」とは、濃密な身体感覚を伴ったもので、特に皮膚感覚・深部感覚・内臓感覚など、医学的には「体性感覚」と呼ばれる種類の感覚と結びついています。

 

たとえば、「体軸」とか「丹田」とかいったものは解剖学的な実体としては存在しませんが、私達は訓練によってそれらを自分の体内にありありと感じることができるようになります。

訓練を積んだ人間にとっては、「軸」も「丹田」も、「実際には無い」のだけれど、「感覚的には在る」ものなのです。

 

私達は、研ぎ澄まされた感覚を通してそういった「存在しないもの」を意識することによって、自分の心身を高いレベルでコントロールすることができます。

「高いレベルでコントロールする」というのは、言い換えると、「全体を一つのまとまりとして機能させる」ということです。

たとえば、「軸」の存在は「身体の中心を真っ直ぐに線が走っているような感覚」として本人には体験されますが、この「軸があるような感覚」を頼りに運動していると、肩や腰などへ個別に「こう動け」と指令を送らなくても、姿勢は自然と安定してきます。

 

また、「軸」を意識している人が体験している「まっすぐな感じ」は、外からその人の身体を見ている他人にも共有される場合があります。

「軸」を意識している人は、周りの人にも「すっきりと立っている」、「楽に落ち着いて坐っている」といった印象を与えることができるのです。

ですから、「当人が軸の存在をありありと感じている」ということは、表現の面から言っても大きな意味を持つことになります。

 

人によっては、こういった「感覚的にしか存在しないもの」のことを、「身体意識」という風に呼んだりもしているようですが、私は「身体」をつけずに、単に「意識」と言っています。

というのも、「意識」は扱いに慣れてくると「身体の外」にも出せるようになるからです。


特に、合氣道では基本的に「意識」は自分の外に出して使います。

自分の身体の内側に「意識」を留めるのは、初心の頃の間だけです。

たとえば、相手の身体のなかに「意識の焦点」を作り出して操作する場合もあるし、何もない空間に「場の中心」を設定する場合もあります。いずれにせよ、自分の外に出す場合が多いです。

相手を貫く意識、包む意識、支える意識、かき混ぜる意識などなど、使い方はいろいろですが、武道においてはそういう意識によって「場全体のルール」を先に決定してしまうことで、そのルール通りに人や物が運動するよう誘導していくのです(これをして「先を取る」と私達は呼んでいます)。

 

はい、めっちゃ胡散臭いですね。

でも、体験的には事実です。

これについては、レッスンやお稽古で私の動きや技を見たり体験したりしてもらった人なら、きっと同意してくれるのではないかと思います。

 

身体の細かい操作をいくつも覚えるよりも、「意識」の使い方に習熟したほうが、応用も利くし高いレベルのパフォーマンスを発揮できます。

なにより、「意識」は「自分のナマの感覚」と直接リンクしているので、動いていても氣持ちがいいものです。

 

私からすると、「高いレベルのパフォーマンス」とか「効率的な身体運用」とかは、あくまで「オマケ」みたいなものです。

大事にしたいことは、「動いていて氣持ちいいかどうか」です。

 

「自分の感覚」が深まっていないと、たとえいくら高度なテクニックを身につけても、そこに「生きてる実感」は芽生えません。

ただ手を上げるだけでも、私達はそのわずかな時間を味わうことができますが、そのためには「感覚の深化」が不可欠なのです。

 

PLATFORMメンバーの方々には、お稽古やレッスンの場で、ぜひご自分の体験を通して、この点を理解してもらいたいと思っています。

 

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