【合氣道01/14】心のピントを合わせる

クラス:合氣道

日 時:2015年1月14日(水)

場 所:芦屋市立体育館・青少年センター柔道場

参加者:7名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 鳥船
  • 四方切り
  • 足捌き
    • 送り足
    • 線を換える送り足
    • 継いでから線を換える足

(休憩)

  • 受身・膝行・転換(意識をクリアに)
  • 体術
    • 逆半身片手取り転換6種(心で決断して、身体で迷う)
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 相半身片手取り入身の捌き2種(下段と上段)
    • 相半身片手取り入身投げ2種(仲の良いままで転換する)
    • 相半身片手取り四方投げ(支えられる位置に捌く)
    • 相半身片手取り一教(取らせる前に螺旋を意識)
    • 相半身片手取り呼吸投げ(腕だけで投げない)
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

芦屋の稽古はこれで四回目です。

今回も火曜・水曜と続けて稽古に参加された方がお二人いましたが、芦屋だとやっぱり皆さんの動きが固くなるような印象がありますね。

うーむ、どうしたものでしょうか…。

 

あるいは、私がこんなことを書くと、当人は余計に「ああ、そうか芦屋の時は動きが悪くなるものなんだな」という暗示にかかって逆効果かもしれません。

しかし、それでもこれは意識しておいたほうがいいように思います。

これから系列の他道場に行くこともあるかもしれないし、どのみち審査のときには凱風館で稽古をするのです。

「環境が変わると思いのほか身体が動かなくなるものだ」という稽古体験に慣れていれば、いざというときに動きが多少固くても、あまり動揺しないで済みます。

 

動きが固くなることよりも問題なのは、「いつもよりぎこちない自分」に対して動揺してしまうことのほうです。

動揺すると自分の状態を丁寧にモニターする余裕がなくなるので、普段だったら大して影響を受けないような小さな物事にぶんぶん振り回されます。

 

たとえば、慣れない場所で緊張してコチコチになっていると、そばにいる人がちょっと憂鬱そうに溜息をついただけで、ガクーッときてしまうことがあります。

「え、ひょっとしてオレのせい?」とか思っちゃったりする。そんなわけないのに。

動揺して周囲の情報を的確にキャッチできなくなっていると、どういう文脈でその場の物事が推移しているのかがわからなくなるため(要するに「空氣」が読めなくなるので)、人は疑心暗鬼になりやすいです。

だから、いつもであれば氣にも止めないようなささいなことに、ものすごく大きく揺さぶられてしまうのです。

 

たとえ動きが固くても、そのことで動揺しないでいられれば、少しずつ新しい環境にも順応できます。

でも、そのためには「固くなってしまう」ということに慣れておくこともある程度は必要です。

もちろん、王子と芦屋の両方に稽古に来ることのできる人ばかりではありませんが、どちらも来られている方は、「芦屋で固くなるのも大事な経験だ」と思って参加されたほうが得るものは大きいと思います。

 

とはいえ、生徒さんご自身の主観では、そもそも王子での稽古でも十分に緊張しているのかもしれません。

でも、教えているこちらの身としては「昨日はあんなに伸び伸びできていた動きが、今日はさっぱりできなくなっている」というのは、見ていてちょっぴり悲しいものがあります。

なので、「そうか、いつもと場所もメンバーも違うし、きっと緊張しているんだな」と思いたくもなるのであります。


ちなみに今回のテーマですが、「意識をクリアに」ということを繰り返し注意しました。

特に、体術に入る前の呼吸法や鳥船、四方切りの際にたくさん言葉がけをしたのですが、これは一言でいえば「曖昧に動かない」ということです。

 

単純な動きほど、体感を鮮明に、意識を透明にして、ピタッ、ピタッと心のピントを合わせながら行うことが大事です。

実際の技に入るまでの流れを、曖昧で不明瞭な意識状態でダラダラおこなってしまうと、体術の稽古も同じトーンになってしまいがちです。

「何のために自分は今ここにいるのか」といえば、もちろん「稽古をするため」ですが、心のカメラがピンぼけしていると、ここのところが不鮮明になってしまいやすい。

 

もちろん、技の中では複雑な動きやまだ慣れていない動作も出てくるでしょうから、人によっては意識をクリアに保つことはまだ難しいかもしれません。

でも、その前までなら、毎回稽古のたびに同じ事をやっているわけですから、「手順どうだったっけ?」ということに心を煩わされずに済むはずです。

 

そうしてできた余裕を「心のピント合わせ」に使えば、そのあとの体術の稽古でも、「体験の質」が向上することでしょう。

同じ一回の稽古でも、当人の中での「重み」が違ってきます。

失敗をするにしても、どこでどう失敗したのかがはっきりとわかるような「有意義な失敗」ができるようになるのでは、と思います。

 

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