【合氣道04/08】基本こそが奥義です

クラス:合氣道

日 時:2015年4月8日(水)・15時~17時

場 所:芦屋市立体育館・青少年センター柔道場

参加者:2名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 継いでから送り足
    • 線を換える送り足

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り氣の流れ六方向
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入身から導いて氣を流す
    • 正面打ち一教
    • 正面打ち四方投げ
    • 正面打ち呼吸投げ(相手が打ちきる前に入身する)
    • 正面打ち小手返し
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

火曜とメンバーは違いましたが、今回も凱風館からお一人、PLATFORMの会員お一人で、計二名。

スペースを広く使って伸び伸びお稽古しました。

 

最近やっと「氣の流れ」とは何かがわかってきました。

これも、初心の頃からずっと呼吸法をやらされてきたおかげです。

実は、今でこそ「呼吸法ほど大事なものはない」と私は思っていますが、習い始めの頃は、あんまり呼吸法をやりたいとは思わなかったのです。

師範や先輩から「やれ」って言われるからやってただけで、何で「あんなこと」をわざわざするのか、長らくわからなかった。

 

だから、合氣道を始めてたしか最初の4年くらいは、呼吸法の時間になると「早く終わんないかな(もう飽きたよ)」と思ってダラダラやってました。

というのも、呼吸をしながら手を上げ下げしたり、鳩尾や下腹に手を当てて音の振動を想起するなんてことが、いったい合氣道にどう活きるのかさっぱり実感できなかったからです。

 

でも、結局はそういう「意味がよく理解できないので手を抜く」という態度があったから、呼吸法の意味を体得するのにこれだけ時間がかかってしまったのだと今では思います。

私は「学ぶこと」を自分の方で取捨選択しすぎていた。

「これはどうもやっていて意味がありそうだから取り組んで、こっちはなんだかよくやる意味がわからないからテキトーでいいか」とかいった具合に、私は自分の持っている物差しを合氣道にあてがい、その教えを自分の心身を使って実際に試しもしないうちから、「学ぶに足ること」と「学ぶに足りないどうでもいいこと」とに選別してしまっていたのです。

それゆえ、初心の段階の私には価値を測定できない教えは全て、「無価値で学ぶ必要のないこと」に分類されてしまい、何度聞かされても私の耳に入らなかったのでしょう。

 

このところの私の氣づきはどれも、初心の頃に散々師匠や先輩から言われていたことばかりです。

私は「独創的な発見をした」のではなく、「元からあったものを見出した」に過ぎません。

私は「個性的な人間になった」のではなく、「無数の先人が見たのと同じものを見た」のです。

 

だから、「オリジナリティ」というようなものは、私にはありません。

他人から見てもし私が「個性的な存在」に映るとしたら、それは「この世界がどれだけの奇跡と不思議とで溢れているか」ということに、その人自身がまだ氣づいていないからだろうと私は思います。

だって、「この世の不思議」をそのままに見れば、「個性的でない人間」なんて世界のどこにもいないのですから。

 

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