【合氣道05/12・05/13】これもマニアの生きる道

合氣道クラス二回分をまとめて書きます。


クラス:合氣道

日 時:2015年5月12日(火)・15時~17時

場 所:王子スポーツセンター柔道場

参加者:3名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継いでから送り足
    • 継いで線を換える送り足

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り氣の流れ六方向
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り入身から導いて氣を流す

(休憩)

  • ワカメ体操
  • 体術
    • 逆半身片手取り四方投げ
    • 逆半身片手取り内回転投げ
    • 逆半身片手取り外回転投げ
  • 輪になって呼吸

クラス:合氣道

日 時:2015年5月13日(水)・15時~17時

場 所:芦屋市立体育館・青少年センター柔道場

参加者:3名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 足捌き
    • 送り足
    • 送ってから継ぎ足
    • 線を換える送り足
    • 六方向へ半身を換える

(休憩)

  • 受身・膝行
  • 体術
    • 逆半身片手取り氣の流れ六方向
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 手の平だけで一教
    • 正面打ち一教
    • 正面打ち一教から四方投げへ派生
    • 正面打ち一教から腕絡み(返し技)
    • 正面打ち入身投げ
    • 正面打ち内回転投げ
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

12日(火)は台風が来ていて、稽古中に外は雨ザーザーの風ビュービューでした。

生徒さんの中には「台風来てるけど、お稽古あるのかしら?」と不安になった方もいたようです。

ただ、私は天気予報を見ない人間ですので、「なんだか今日は雨が強いなぁ」くらいにしか考えておらず、台風がひどくなって帰れない人が出る可能性をまったく考慮しておりませんでした。

 

実は前にも似たようなことがあって、そのとき「今後は天気予報も少しはチェックしておいたほうがいいな」と反省しまして、Twitterで神戸の気象情報を発信しているアカウントをフォローするようにしたのです。

でも、フォローしてしばらくしてから危機意識も徐々になくなっていき、最近はタイムラインに表示されていてもいちいち見なくなっておりました(きっかり1時間ごとに気象情報がツイートされるので、時報代わりには使っていたが)。

あかんなぁ。

 

そもそも私は天気に限らず、日常のあれやこれやにかなり無頓着なところがありまして、「先生、なんでそんなことも知らないんですか」と生徒さんから驚かれたりもします。

にもかからず、その同じ人間が稽古中はたいへん細かいことについて注意をします(足の角度がどーだこーだ、重心の位置があーだこーだ)。

こういう風に興味や関心を持つ対象が著しく偏っている人間は、普通「マニア」と呼ばれます。

私もまた何かの「マニア」なのでしょう。

 

「マニア」は自分が興味を持った事柄についてはとことん突き詰めていきますが、それ以外の万事についてはとんと疎いです。

なので、そういう人間が無事に生きていくためには、多くの人に助けてもらう必要があります。

一人の「マニア」を生かしておくためには、少なくとも数十人規模の支援が要る。

 

「そこまでして『マニア』を生かしといて何になるのか」と言われると困ってしまうのですが、ただ、無数の「マニア」のうちの百人に一人くらいは、自分が関心を持った領域について突き詰めるとこまで突き詰めて、「底を蹴破る」ことがあるんですね。

「専門性」を深めていった結果、「普遍性」に到達してしまう人が稀にいるのです。

 

そういう「突き抜けた人」は、自分と同じ領域の「マニア」にしか通じない語り方を抜け出して、世間一般の人たちにとっても切実な問題を新しく提起したりですとか、これまでどこにもなかったような斬新な世界観をもたらしたりですとか、そういう「一大事業」を己の人生を賭けて成し遂げます。

彼らは、それによって私達の社会が有している「知」の体系に、新しいページを書き加えてくれる。

そしてやがては、誰もが利用可能な形で、「新たな知」が私達の常識に登録されることになるのです。

 

あえて言えば、それが「マニア」を生かしておくメリットです。

全員が全員突き抜けるわけじゃないけれど、時々「向こう側」まで行っちゃう人がいる。

だいたいは行って行きっぱなしになっちゃうんですけれど、ごく稀に、行って帰って来た後に「向こう側での体験」を「こっちの世界の語彙」で語ろうとする変態(と私は呼びたくなる)が現れるのです。

 

こういう人たちが、私達の社会を知的に成熟させる責務を担うことになります。

彼らこそ「勇氣ある開拓者」たちです。

「向こうの世界」と「こっちの世界」を架橋する人たちと言ってもいい。

 

でも、たいていの「マニア」は、そもそも「向こう側」にさえ行かずに、どうしたら「こっちの世界」でもっと他人から尊敬されてお金を集められるかを考えます。

あるいは、なんとか「あっちの世界」を垣間見るところまでは行けたのだけれど、「あっちの世界」が見える自分は特別な人間なんだと思い上がり、そのまま「こっちの世界」に帰ってこなくなる。

また、一時は帰って来られていた人も、あるときを境に戻り方を忘れてしまうことはよくあります。

 

だから、「突き抜けた上で戻ってくる人」というのは、本当に稀なのです。

一人の「マニア」を生かしておくためだけでさえ、多大な労力が要りますが、そうまでして彼を生かしておいても、結局「向こう側」から何も持ち帰ってきてくれない、ということは可能性として大いにありえます。

 

「それでも私はこの人を支援する」と決意した「狂人」たちが、うちみたいな小さい教室を支えるサポーターになるわけなんですね。

私は確実に「マニア」だと思いますけれど、突き抜けるかどうかは誰にもわかりません(私自身にだってわからんです)。

そういう人間を生かそうと思って自分から進んで支援する人たちというのは、(言葉は悪いですが)やっぱりどこか「狂っている」んじゃないかと私は思います。

 

でも、私のような「マニア」というのは、そういう「狂氣」に日々支えてもらっていないと、さっぱり生きていけないのです。

彼ら、「サポーター」諸君はきっと氣づいておりますまい。

私のする胡散臭い話を目をキラキラさせながら聞いてくれる人がいることで、私がどれだけ氣分良く毎日を生きられているかということに。

 

「マニアックな話」を「叡智の言葉」だと信じてくれる隣人たちの眼差しこそが、「マニア」の心の糧となります。

それなしでは、「マニア」は生きていけないのです。

「マニア」って、本当に「弱い生き物」なんですよ。

 

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