【合氣道05/26】願ったことが実現する

クラス:合氣道

日 時:2015年5月26日(火)・15時~17時

場 所:芦屋市立体育館・青少年センター柔道場

参加者:3名

 

内 容

  • 体操
  • 呼吸法
  • 足捌き
    • 送り足
    • 継ぎ足
    • 送ってから継ぐ足
    • 継いでから送り足
    • 継いで線を換える足

(休憩)

  • 体術
    • 逆半身片手取り氣の流れ六方向
    • 逆半身片手取り歩み足転換
    • 逆半身片手取り呼吸投げ三種
    • 逆半身片手取り四方投げ
    • 逆半身片手取り一教
    • 逆半身片手取り二教裏

(休憩)

  • 体術
    • 逆半身片手取り小手返し
    • 逆半身片手取り呼吸投げ
    • 逆半身片手取り内回転投げ
    • 逆半身片手取り外回転投げ
    • 坐技呼吸法
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

火曜ですが、この日は王子の柔道場が取れなかったので芦屋で稽古しました。

毎年、夏場の王子は予約があんまり取れないです(抽選会の時点ですでにかなり埋まってしまっているのです)。

 

去年まだ芦屋での稽古を始めていなかったときは、他に稽古会場もなかったため、ギリギリまでキャンセル待ちをして、それでも無理ならお稽古を休みにしていました。

昨年末から芦屋も使うようになったので、今は「王子が無理なら芦屋で」という選択肢が取れます。

会場がときどき変わってややこしいですが、稽古を休みにしなくてよくなりました。よかったよかった。

 

ということで、芦屋での稽古ですが、この日のテーマは「潜在意識の活用」でした。

心の底で「自分にはできない」と思っていると、たとえどれだけ稽古をしても、「できない自分」に居着きます。

自分を本当に変えることは、自分自身にしかできません。

だから、「変わろう」と本人が思っていない場合、他人が外から何を言っても無駄なのです。

 

どれほど優れた指導者であっても、人ひとり変化させることさえできはしません。

たしかに、威圧して恐怖を植え付けたり、おだてて相手を浮かれさせたりすることで、ある程度までなら他人を操作することができるかもしれません。

でも、そうやって外から操作できるのは、相手がもともと「外から威圧されると簡単に言うことを引っ込めてしまう臆病な人」であったり「ちょっと褒められただけですぐに舞い上がってしまう軽薄な人」だったりする場合に限られる。

つまり、「飴と鞭」でコントロールできるのは、相手がもともと「他人にコントロールされやすい人」だった場合だけなのです。

 

他人は、「表面的な操作」ならできても「根本的な変化」には関与できません。

「操作されやすい人」を「操作されない人」に変える力は、他人にはない。全く、ない。

他人にできるのは、本人が「こういう人間に変わりたい」と心から決意した時に、それを実現するための「現実的な援助(たとえば、何かを学ぶために必要なお金や時間の都合をつけてあげたり、衣食住の安定的な享受を助けてあげたり)」をすることだけです。

 

繰り返しますが、本人によってしか、「根本的な変化」は起こせません。

でも、そのためには本人が心の底から「私は私を変えたい」と願っていないといけません。

口で「私は変わりたい」といくら言っていても、本心では「努力するのなんて面倒だし、できたら変わらないでいたいなぁ」と思っていたら、必ず変化には大きなブレーキがかかります。

 

これはたとえば、「今書いている小説が出来上がったら、きっとコンクールに応募するんだ」としきりに言っていながら、いつまで経っても作品を完成させない人を想像するとわかりやすいです。

彼(ひとまず男性ということにしましょう)は、口では「小説を書いてたくさんの人々に読んでもらいたい」と言っているわけですが、実際にしていることはそれと真逆です。

もちろん、本人の主観としては「頑張って作品の完成に向けて努力をしている」つもりでしょう。

でも、本人が心の底で優先的に氣にかけていることは、「たとえ何があっても作品を仕上げたい」ということではなくて、「もし作品が完成してそれを他人に読まれたら、酷評されて傷つくかもしれない」ということのほうです。

そして、「傷つくくらいなら、小説が完成しなくても別にいいか」と当人が思っていることによって、いつまで経っても作品が完成しない方向へと「無意識の努力」が絶えず行われているわけなのです。

 

私達が他人の言動から「この人ってどういう人なんだろう?」と考えるときにも、当人の「言っていること」ではなくて、その「振る舞い」を見るものです。

たとえば、我が子に向かって口では「愛している」と言いながら、子供が抱きつこうとすると身をかわす母親を前にした場合、私達はきっと、この人は「他人から愛情深い親として認知されること」を目指して努力しているのであって、「我が子に自分の愛を伝えたい」と思って努力しているわけではない、と判断することでしょう。

もちろん、彼女も主観的には「私は愛情深い母親だ」と強く信じているはずです。

だって、「できるだけ長く『私は愛情深い母親だ』と思い込んでいたい」ということこそが、その人の心の底にある願いなのですから、「私は愛情深い」という想いを強化する方向へと当人が絶えず努力をしてしまうのは、まったくもって理の当然なのです。

ただ、彼女の真の願いが「我が子をもっと愛したい」という自覚的・主体的なものではなく、「愛情深いと他人から思われることでもっとみんなから愛されたい」という無自覚的・受動的なものであるがゆえに、その言動には必然的に「ねじれ」がつきまとうことになる。

 

「潜在意識」の持っている可能性を甘く見ないほうがいいです。

人は、自分自身で心の底から「なりたい」と思っている人間としてしか生きることができないからです。

私達は、努力する必要を頭でいくら理解していても、努力を長く続けることはできませんが、それは頭というものが意識の表層にある顕在意識をしか支配することができないからなのです。

 

顕在意識は潜在意識によって、いつも下から支えられています。

私達が頭(顕在意識)で思うことのほとんど全ては、これまでの人生で潜在意識へ放り込まれた材料によって編まれている。

だから、たとえ自由に思考しているつもりでも、実際には「自分の潜在意識が望んだ仕方」の内側でしかそもそも思考することが不可能なように、私達の意識はできているのです。

 

自分をもっと活き活きした人間に変えようとする「ポジティブ・シンキング」がしばしば失敗に終わるのも、顕在意識でだけポジティブなことを考えていて、潜在意識に働きかけることを多くの人がしないからです。

当人の潜在意識には、これまでの人生で溜め込んだ劣等感や自己嫌悪を強める材料がたくさん入っているのに、それを変えないままで活き活きした人間になることなんて誰にもできません。

たとえて言えば、冷蔵庫に入っている材料はそのままで、出来上がる料理だけ「全くの別物」にしようとするから失敗してしまうということです。

 

顕在意識の中だけで、「もっと積極的に生きよう!」と思っても、潜在意識で「まあ別にそんなに積極的にならなくてもいいんじゃない?疲れるし…」と思っていると、必ず変化にはブレーキがかかる。

そして、ポジティブ・シンキングの失敗者達は、潜在意識のほうを変えないから、頭の中で一人で「思考の運動会」をしてしまうのです。たとえば…

 

「さあ、暗い顔をしないで!もっとポジティブに!」

「うるせー、いつもいつもそうは言ってられないんだよ!」

「って、ああ~、こんな消極的なことを思っていてはダメだ、しっかりしろ自分!」

 

とかいった具合に、顕在意識の中だけで自分の声が反響し続けてしまう。

つまり、顕在意識でもって顕在意識を操作しようとしてしまうのです。

 

しかし、ここまで書いてきましたように、顕在意識を変えることができるのは、実際には当人の潜在意識だけです。

顕在意識で顕在意識を操作しようとするのは、自分の髪の毛を自分で掴んで身体を宙に持ち上げようとするのと同じ種類の不可能事なのです。

 

これに関しては、私自身の過去の事例がもしかしたら参考になるかもしれません。

私は5年くらい前に、一人きりでいるとき自分に向かって「早く死ね」と呟くのが癖になっていました。

最初この言葉は、当時のバイト先の同僚がお店の営業終了後にお客さんを陰で罵倒するとき使っていたものでした。

なので、これは別に私に向かって言われた言葉ではなかったわけです。

でも、私はなぜかこれを「自分宛のメッセージだ」と誤解して潜在意識の中に放り込んでしまったのです(もし自分の潜在意識に「負の材料」を入れたくなかったら、仲間内での陰口大会にはできるだけ参加しないほうがいいです、ホントに)。

 

それ以来、私はことあるごとに自分に向かって「早く死ね」と言うようになりました。

でも、もちろん主観的には言いたくて言っているつもりはありませんでした。

むしろ、いつも言った後になってから「なんでそんなことを言ってしまうんだろう…、きっと自分はダメな人間なんだ」と思って自分で自分を責めていた。

私にはどうしても、「その語を言う前に自分で氣づいて言わずに済ます」ということができなかったのです。

 

なぜかといえば、顕在意識はいつも潜在意識に時間的に遅れて生起するものだからです。

言い換えれば、潜在意識が心の奥に蓄えてきた言葉を発してしまった後になってからしか、それを制止しようとする頭の思考(たとえば「こんなこと言っちゃいけない」とか)は生まれてくることがない、ということです。

 

これを武道的に言えば、顕在意識は潜在意識の先を取ることができないということにもなります。

それゆえ、武道の稽古では潜在意識に明確な方向付けをした者が時間的に未来へフライングし、場を主宰することにもなるのですが…、さすがに話が先に飛びすぎますから、今はもう少しゆっくり進みましょう。

 

当時の私は自分に対して「早く死ね」と言うのを止めることができませんでした。

でも、それは私が「自分は死んだほうがいいようなダメな人間なんだ」と思い続けたいと、本当は心の底で願っていたからなのです。

 

なんでそんなことを願うかと言えば、理由は色々あったことでしょう。

たとえば、自分で自分を「ダメな人間」だと思っていれば、たとえ何かに挑戦して失敗しても、「もともとオレはダメなヤツだから仕方ないさ」と言って自分を慰めることができます。

仮に手痛いミスをした場合にも、「まあ、どうせこうなるってわかっていたよ」と自嘲気味に涼しい顔をしていれば、傷は比較的浅くて済む。

もっと言えば、「オレはとことんダメなヤツなんだから新しいことに挑戦するなんてとんでもない」と、そもそも何も試みないままでいることだってできるかもしれません。

さっき上で書いた、「今に小説を完成させる」と口では言いながら、決して何も書き上げなかった人のように。

 

私の潜在意識は「そっち」の利益を取ったんです。

「ダメな人間のままでいること」はもちろん不快ではあるけれど、「ダメじゃないかもしれない可能性に賭けて傷つくよりはマシだ」と、心の底では思っていた。

だからこそ、「私ってダメな人間ですよね?」という自問に肯定的に答えてくれる材料を集めるために、私の潜在意識は「無意識の努力」を続けてしまっていたのです。

赤の他人に向けて発された「死んでしまえ」という呪詛の言葉まで「自分宛だ」と私が誤読できたのも、そういう涙ぐましい「努力」のたまものであったというわけです。

 

残酷な話ですが、私は「自分が本心から望んだ人間」に既になっていたんです。

私は「ダメな人間」として自分や他人から認知され続ける不快感よりも、「ダメな人間」であることによって自分の可能性を試す未来を先送りにできる安心感を選んだのですから。

 

このように、潜在意識に方向付けがなされると、人は自分の周りにある無数の情報から、その方向付けが達成されるために必要なものを無意識に集め始めます。

たとえば、潜在意識に「恋人との関係を継続したい」という方向付けがなされると、相手から自分に向けられる愛情表現に優先的に氣がつくようになりますが、「なるべく早く関係を解消したい」と心の底で思っていると、愛情表現の欠如や浮気の兆候ばかりが目に付くものです。

 

というか、これは別に恋人に限った話ではないでしょう。

私達は「この人をもっと好きになりたい」と望んでいれば、「相手の好ましい点」に優先して意識を向けますが、「もっと嫌いになりたい」と望んでいれば、「嫌いになって当然の理由」をいくらでも列挙してみせるものですし、「嫌う理由」が見当たらなければ事実を曲げて嫌悪感をでっちあげることさえ厭わないのです。

 

人間というのは「そういうもの」です。

人間には「自分の本心が望んだ仕方」でしか現実を解釈することができません。

言い換えれば、人は「自分が望んだ主観」の中にしか住むことができないのです。

 

この心の法則性だけは、絶対に変えることができません。

だとしたら、その事実に絶望するよりも、法則をもっと意識的に活用する方法を工夫した方が良いです。

つまりは「顕在意識ではなく、潜在意識に向かって語りかけるための方法」ですね。

 

これについては、ネット上で「潜在意識」とでも検索をかければいくらでも実践方法が見つかるでしょうし、世の中に流通している自己啓発系の本にもたくさんの方法が書かれていることでしょう。

私は「そっち業界」の専門家ではないのであんまり詳しいことは知りませんが、合氣道の稽古においては自己暗示法と連想行という二つの方法によって自分の潜在意識に働きかけをしていきます。

 

自己暗示法というのは、簡単に言えば「断定すること」です。

たとえば、呼吸法を行う前に「これから呼吸法をすることによって、宇宙の知恵と力を自分の内側に取り入れる」と断定します。

自分で断定することによって、呼吸を通して生命力が高まるように、潜在意識へ方向付けをするわけです。

 

とはいえ、初学者はまだ自分で断定をすることが難しいですから、そういう人の「断定力」を補助するために、私のほうで「これからこういう心持ちで呼吸法をします」という宣言の言葉を、全員に聞こえるように唱えたりもします。

でも、できたら自分自身で断定するのが一番です。

だって、自分というのは誰にとっても「一番身近な隣人」ですから、自分で自分に言った言葉が、実は最も奥深くまで届くのです。

 

ちなみに、これは日々の食事の際にも行うことができます。

食べる前に「自分が生きるために今から他者の命をいただきます」という断定をしてから食事をしたほうが、スマホを片手でいじりながらダラダラ食事をするよりも消化吸収の効率は良くなりますし、食べ物を深く味わうことができるので食事していても愉しいです。

 

断定するときのコツは、ぼんやり「こうしようかなぁ」と思うのではなく、「これから私はこうする!」と強く自分に対して断言することです。

そのためには意識のピントをピタッと合わせる必要がある。

意識がピンぼけしていては、断定が潜在意識に届く前に失速して消えていってしまうからです。

可能であれば、鏡を使って自分の顔を映し、眉間の奥の一点に向かって細い針で刺し貫くように、「これから自分はこうする!」という想いを送ると効果が高まります。

 

もう一つの実践法である連想行とは、自分の感覚を通して未来をありありと思い描く練習のことです。

私の師匠の師匠である多田宏先生は、技をかける前に「既に技が終わったときの体感」を明確にイメージして、そこに身体を放り込めとしばしば教えておられました。

実際、技が終わった時の皮膚の感じや息遣い、見える景色などを、まだ技をかけていない段階で自分の五感を通してはっきり思い描いている人と、ただぼんやりとその場に居て「これから何が起こるのかなぁ」と思っているだけの人とでは、どちらが場を制することになるかは明らかでしょう。

 

同じように、十年後、二十年後の自分がどこでどういうことをしているかを、細部まで作り込んで空想する習慣のある人は、何も空想しない人よりも、空想した通りの未来を実現化する可能性が高いです。

たとえば、「二十年後の自分は畑と山と川に囲まれた田舎に家を構えて、農業でもしながら暮らしてそうだな」と思って、「その家の間取りはきっとこんな感じで」とか「ご近所さんにはこういう人がいて」とか「妻(夫)はこんな感じの人で子供は何人で」とかいったディテールまでついつい空想してしまう人は、実際にそういう未来に引っ張られます。

潜在意識が「空想した未来」を実現するのに必要な情報を、選択的に集めるように方向付けられるからです。

 

そこからさらに「自分の娘や息子達が進学や就職のために田舎から出て行ったあと、残された夫婦二人で縁側に坐ってつく安堵と寂寥の溜め息」までをも、内観的に「今」感じることのできる空想家は、きっとそういう未来を実現するでしょう。

そして、実際に空想した通りの未来が実現したときには、「二十年前は自分がこんな風になってるなんて、まったく思いもしなかったなぁ」とかシレッと言ってるのです。自分自身でそういう未来を招いておいて。

 

でも、そんな風に「自分で願っておいて忘れる」ということも、実はけっこう重要だったりします。

なぜなら、年がら年中願ってばかりいると、その願いが潜在意識に染み込む暇がなくなるからです。

 

断定というのはスパッと一発で行うものですし、連想行もダラダラと集中しないまま行ってはいけません。

潜在意識に方向を与えたら、そこから先の仕事は「意識の床下の小人さん」たちにどーんと任せる。

特に、彼ら「小人さん」たちは私達が眠っている間によく働きますから、就寝前にスパッと「自分はこういう人間である」と断定してそのまま寝ると、夜の間に潜在意識へ自分の断定が染み込みやすいです。

 

まとめます。

合氣道の稽古のおいて、潜在意識に働きかけるポイントは以下の三つがあります。

 

意識のピントを合わせて、スパッと断定すること。

五感を総動員して、ありありと未来をイメージすること。

願っておいて適度に忘れること。

 

以上です。

興味のある人は、日常生活に組み込んで自分でいろいろ試してみてください。

健闘を祈ります。

 

次の記事へ

前の記事へ