【ダンス05/28】そして踊りは続く

クラス:ダンス

日 時:2015年5月28日(木)・19時~20時30分

場 所:コミスタこうべ302号室

参加者:2名

 

内 容

  • 対話
    • 今後の教室について
    • レッスンに通ってみて変わったこと、感じたこと
    • ダンスと合氣道の稽古を両方して思うこと
  • 身体をほぐしてまとめる
    • 足首と股関節をよく回す
    • 肩を弛める
    • 鳩尾を弛める(邪気の吐出)
    • 下丹田に氣を集める
  • 胴体の体操
    • 正坐で丸める・反る
    • 横座りで丸める・反る
    • 横座りでの丸める・反ると一致するように回転動作
    • 動作の途中で立てるかどうかをテスト

(休憩)

  • 指先を意識して踊る振り付け(新しいパートを足しました)
  • 輪になって呼吸

 

雑 感

この日はレッスンの最初に時間をいただいて、生徒の方と30分ほどお話をしました。

今後の教室について。

現在の私が抱えている問題や、それがレッスンに及ぼすであろう影響について。

生徒さんがレッスンに通ってみて感じたことや変わったこと。

教えている私の目線からは見えない部分を、生徒さんに言ってもらったりもしました。

 

話をしてから、「ダンスクラスは合氣道クラスとは違って、あまりカチッとした師弟関係という枠組みを設定しないほうがいいのかもしれないなぁ」と思いました。

というのも、私はことダンスに関しては「伝えたい技法」があるわけではないからです。

私としては、こちらのほうから一方的に「型の通りに規則正しく身体を動かしなさい」と押しつけたりせず、生徒さんと一緒に踊りの場を作っていきたいと思っているのです。

 

私は昔いろいろなダンスの技法を習得する過程で、「練習すればするほど心も身体も不自由になる」という閉塞感を抱き、「そもそもなぜ自分はこんなに頑張ってダンスを練習するのだろう?」という疑問にとらわれた時期がありました。

私がレッスンで極力ダンスのテクニックを教えることをしたくないと思う理由もここにあります。

突き詰めて言えば「どうしてあなたは踊るのか?」という問いの探究が、私の中で今も続いているからです。

 

「どうして踊るのか?」というのは、実のところ「理由」を問うているのではありません。

というのも、ダンスは「踊るべき理由がわかったから踊る(わからないうちは踊らない)」ということが許される類いの営みではないからです。

昔、私の師匠の櫻井郁也先生は、「科学はわかってから出すが、踊りはわからないまま出す」とおっしゃっていたことがありました。

「わからなくても、とにかく踊る」というところから踊りは始まるのであり、そうしてわからないままに踊り続けるうち、自然とダンスのステップは刻まれていくことになるのではないかと思います。

 

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にも、「踊り」について語られたこんなシーンがあります。

主人公の「僕」が、「失われた繋がりを取り戻すためにいったい自分は何をしたらいいのか」と羊男に問うたとき、彼はこう答えています。

 

【「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもうなにもなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。(…)」】

(村上春樹、『ダンス・ダンス・ダンス(上)』、講談社文庫、2004年、182~183頁、太字部分は原文では傍点強調)

 

「僕」は繋がりを取り戻すための「具体的な方法」を羊男に尋ねます。

繰り返し「それで僕はいったいどうしたらいいんだろう?」と問うのです。

でも、羊男はそんな「僕」に対して、「とにかく踊り続けるんだ。もともと存在しない意味なんて考えず、ひたすら足を動かし続けよ」という謎めいたメッセージでもって応じる。

 

「僕」はきっと「『踊る』というのはどういう意味なのか?」ということを知りたかったでしょうし、できたら「うまいステップの踏み方」を教授してほしかったことでしょう。

言い換えれば、繋がりを回復するための「マニュアル」を彼は欲していたはずです。

しかし、羊男はそんな「僕」に向かって「いいから今は黙って踊りなさい」としか言わない。

 

私達が投げ込まれている状況というのは、いつだって「こういうもの」だと思います。

行く先を明確に指示してくれる「マニュアル」なんてどこにもなく、「究極の正解」を教えてくれる人もいなければ神もなく、それでも私達は人々の前で何かを踊って見せばならない。

 

答えがわからないまま、問いを抱えたまま、私達は踊り続けています。

でも、無我夢中でとにかく踊り続けるうちに、足が次第に馴染んできて、自然と動きにもリズムが生まれてくる。

そうやって「踊り」は続いていくのです。

 

私は、できることなら、ただ「踊るための方法」を教えるだけのレッスンにはしたくないと感じています。

じゃあ、代わりに何ができるのかというと、わからない。

それで今回みたいに、生徒さんと話をしながら進むべき道を模索したりもします。

 

先生である私がこんな頼りない導き手で、生徒さんには申し訳ないですが、これが私の「踊り」なのです。

それに納得してくれる方々だけ、一緒に踊ってもらえたら嬉しいです。

 

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