2015年8月11日(火) 合氣道・ダンス

本当に久々の更新です。

教室のレッスンやお稽古はスケジュール通り行っていましたし、紙のノートに簡単に記録を取ってはいましたが、ネット上で何か書こうという気にどうしてもなれませんでした。

しかし、ただ待っていてもこの気持ちは変わりそうにもないので、少しずつ何かしら書いていってみようと思います。

更新のなかった間の分がかなり飛んでしまいますが、ご容赦ください。

 

・2015年8月11日(火) 合氣道@芦屋

参加者は一名。このところ、平日の稽古に欠かさず来てくださっている生徒さんです。

基本の確認として逆半身の片手取りをしたのですが、入り身投げを練習しているときに意識の左右差について説明しました。

 

誰しも、身体への意識が濃いところと薄いところとがあります。

意識が濃い薄いというのは体感的なことですが、たとえば、利き手の人差し指の先端を感じようとするのは誰でもできるでしょうけれど、利き足と逆側の足の薬指の先端などは、あるていど練習しないとそもそもその存在を明確に感じることさえできないでしょう。

人によっては、くるぶしから下を「足」という一つの塊としてしか意識できず、指までは身体意識が細分化していませんから。

 

ちなみに私は右利きですが、利き手のほうが意識はどうしたって濃くなります。

左手は右に比べると不器用なので、体術の中で意識を向けようとするとつい力んでしまいます。

話すのが苦手な人が、人前に出ると緊張してガチガチになってしまうのと同じです。

右手だと相手に吸い付くように使えるのに、左手は知らず知らず力を入れて相手の身体を掴んでいることがよくあります。

 

とはいえ、意識が向く分だけ、右手は余分なこともしてしまいがちです。

そうして、装飾的で武道的には無駄な動きを加えてしまい、全体のバランスを失う場合もあります。

右手は技巧的な動きには向きますが、左手のような「不器用であるがゆえの自然さ」は持っていないのです。

 

いずれにせよ、合氣道で大事なのは「全体のバランス」です。

意識の濃淡をなるべくなくして、全身を均一な状態に持っていきます。

「右手だけ氣を通して左手はほったらかし」という風にすると、右手が次第に体幹から分離して孤立してしまいますし、光を当ててもらえない左手からも徐々に生氣が失せていきます。

右手も左手も、両方とも活き活き使うためには、体幹や下半身も含めて意識を均等に広げることが必要なのです。

 

それには、相手を投げたり固めたりといった体術の稽古よりも、一人でもできる呼吸法が大いに役立ちます。

また、日常的に自分の身体の使い方を観察することも意味があります。

そこから自分の意識の偏りや、身体の癖に気づけるかもしれませんから。

 

自分の癖に気づく機会は道場の外にもたくさんありますが、そもそも私達は道場の中でも外でも、同じ状況で同じパターンを繰り返しています。

ですから、道場の外でできていないことは道場に来てもできないし、逆もまたしかりです。

 

「道場で稽古していたら日常的に乗り越えられない問題がサクサク解決した」ということは、実はあんまりありません。

むしろ道場で稽古していると、「道場に来ているときさえも、自分は『いつもと同じ問題』に直面している」と繰り返し気づかされることになります。

そうして、「『これ』をなんとかしない限り、どこに行って何をしても結局は同じ結果になる」と悟ったとき、道場での稽古の意味は一変します。

稽古の中で無駄な反復だと思えたことが、自分を変える貴重な鍵だと思えるようになります。

 

全ては繋がっていますから、「自分の稽古」はどこからでも始められます。

どこから始めても同じです。逃げ場はありません。

 

・2015年8月11日(火) ダンス@コミスタ302号室

参加者は一名。この春に入会された生徒さんです。

いつも通り、身体をゆるめてから基礎練習をして、最後に振り付けを踊りました。

先月から続けて練習している、下半身に意識を向けるダンスです。

少しずつ振り付けを作り足して、段々長くなってきました。

お腹と脚を繋げる、股関節の意識、重力を利用する、など色々と盛り込んでます。

今月いっぱいは、この振り付けを練習していくつもりです。

 

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