【合氣道10/13】できれば押しつけたりせずに

・2015年10月13日(火) 合氣道クラス@王子

 

再開第二回目のお稽古。

先週は、おっかなびっくりの試運転状態でしたが、今週はいくらか調子が戻ってきたように感じました。

凱風館やささの葉合気会からも人が来て、参加者は合計5名。

なかなか賑やかでした。

 

取り手は相半身片手取り。

黒帯の人もいたので、技数が前回よりかなり多めになりました。

また、けっこう細かい注意点も指摘したのですが、それに気を取られてかえって動きが固くなってしまった人もいたようです。

 

指導していて、このへんの匙加減が難しいといつも思います。

言わないと気づきにくい点に関しては、やはりこちらから指摘したほうが良いと思うのですが、言われたことに本人の注意が集まりすぎると、意識が固着して動かなくなるので、それまで自然と取れていた全体のバランスが崩れてしまうのです。

 

特に「~せねばならない」「~してはいけない」というような言葉遣いで指摘することを続けていくと、言われた側の失敗を怖れる気持ちが刺激されて、動きがどんどんぎこちなくなっていきます。

たぶん、「さらっとヒントだけ示して、後は本人に自力で気づいてもらう」というほうがよろしいのでしょうけれど、指導する側の「教えようとする気持ち」があんまり強いと、教わる側に「道筋」を全部示して押しつけるような形になりがちです。

 

場合によっては、そうやって押しつけられたやり方でうまくいくこともあるかもしれませんが、そればかりでは最終的に本人の自主性は削がれていくことになるように思います。

そもそも合氣道では、「自分から進んで場を作っていく」ということを重んじるので、道場生一人一人が自主性を発揮できないような稽古環境はあまりよろしくないでしょう。

 

「生徒に道を自分で全部示さないといられない」というのも、厳しい見方をすれば、教師の側のコントロール欲求の表れだろうと思います。

教師という立場ゆえに、「指導」という名目で一方的な押しつけが可能になるので、教える側の人が気をつけて自制しないと、生徒をどんどん萎縮させてしまうことにもなりかねません。

 

ただ、対等な人間同士の相談や話し合いであれば、「提案」という形に踏みとどまれる人であっても、教師と生徒の関係だと自制が効かなくなることもあるんじゃないかと思います。

教える側は「提案」をしているつもりでも、いつの間にかそれが「命令」に近くなっている、なんてこともありそうです。

教師と生徒では上下関係がはっきりしているので、たとえ教える側に考えを押しつけるつもりがなかったとしても、知らず知らずのうちに押しつけがましい形になってしまう。

 

そういえば、私の高校時代の数学の先生で、授業中に生徒より高い位置に立つことを拒否している人がいました。

教室の構造上、(たぶん後ろからでも見やすいように)黒板の前には段があって少し高くなっているのですが、「そこにできたら自分は立ちたくない」と、たしか最初の授業で自己紹介の時に宣言していたと思います。

「黒板に何か書くときには仕方なく段の上に立つけれども、それは私の本意ではないのだ」と語っていました。

その先生は、たとえ物理的な意味であっても「生徒は見上げて、教師は見おろす」という関係が生じるのを嫌っていたようです。

ずいぶんと変わった先生で、いろいろと独自のルールを持っているようでしたが、これはそのうちの一つでした。


考えてみれば、合氣道の稽古でも手本を見せているときは教える側だけが立っていて、教わる側はみんな黙って正坐で坐っていないといけません。

あれは、教わってるときにはあまり疑問に思わなかったですけれど、教える側になって初めて不思議に感じました。

自分だけが立ってあれこれ喋っていて、他の人は全員黙ってそれを聞いている。討論の場であれば、その後で聞き手から意見が出ることもあるでしょうけれど、道場ではそういうこともなく、生徒はただ言われた通りに動いてくれる。

 

「生徒というのはそういうもんだろう」と言われればたしかにそうなんですが、でも、教える側の立場に初めてなったときには、やっぱり不思議でした。

教え始めたばかりであれば、こちらだって別にそんなに実力があるわけじゃないし(今も無いが)、それは生徒の人たちもわかっているはずなのですから、「どうしてこの人達はおとなしく坐って自分なんかの話を聞いているのだろう?」と私は思わずにはいられませんでした。

 

実際、普段の生活ではありえませんからね。私みたいな「そのへんの兄ちゃん」の話をみんなが傾聴しているなんて。

この間まで私が入院していた病院の主治医も、「オドオドしている湯浅さんしか見たことないから、武道をやっていると言っても殴ったら当たるんじゃないかと思った」と言ってました(はい、たぶん当たります)。


今まであまり気にしたこともなかったですけれど、おそらく「師範だけが立っていて生徒はみんな坐っている」というルールそれ自体に、上下関係を生み出す効果があるのでしょう。

つまり、事の順序としては「実力的な上下関係がはっきりしたので、みんなが私の話を聞いている」ということでなくて、「みんなが私の話を聞かねばならなかったから、上下関係が発生した」のです。

最初は子供のままごとみたいに「こういうルールでやりましょう」ということで演じていただけでも、それらの振る舞いが繰り返されることによって、本当に「上下の意識」が本人達の中に根付いていったのだと思います。

 

こういった「上下関係」を生み出す仕掛けが、たぶん稽古の至るところに組み込まれているのだろうと思います。

もちろん、それらの仕掛けがあるからこそ教わる側も安心して師範に全てを委ねることができるという面はあるのでしょうけれど、これを教える側が安心して強圧的でいられるために利用し出したら、やっぱり問題でしょう。

 

自戒も込めて、気をつけたいと思います。

 

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