【合氣道11/22・11/24】動きの中で

・2015年11月22日(日) 合氣道@王子

久々の日曜稽古でした。

時間が火曜より遅くて17時スタートだったので、稽古が始まったときにはもう暗くて、時期的に寒さも感じられるようになってきました。

 

王子の冬は非常に冷えるので、真冬になると防寒対策が必須です。

特に畳が冷えて足元から体温を奪われるので、去年は足袋や靴下を履いて稽古していた時期もあります(冷えて足首回りの怪我に繋がった例が他の団体であったそうです。気をつけましょう)。

まだあと半月くらいは大丈夫そうですが、1月2月にはまた防寒具のようなものも必要になるかもしれないです。

 

さてさて、この日はレギュラーメンバーの生徒さんはご都合が悪くてお休みで、凱風館からのビジター参加の方だけでお稽古しました。

男女2名ずつの全部で4名。取り手は両手取りをしました。

両手取りは、渦を描くように体を捌く場合が多いのですが、この渦のイメージを大きく、そして早めに持って動くのが大事なのだと、教えていて思いました。


渦のイメージが小さいと、相手の身体をそこに巻き込むことができず、自分一人だけの動きになってしまいがちです。

また、渦をイメージして動き出すのが遅いと、相手に入り込まれて通り道がなくなってしまい、そもそもイメージした通りの渦を身体で描けないことになります。

 

大きな渦を早めにイメージする。

ここでは、「大きく」ということと「早めに」ということをセットで考えてもよいように思います。

というのも、もし大きく動こうと思ったら、早めに動きをイメージし始めている必要があるからです。

遅くなればなるほど選択肢は減り、可能な動線は限定されていきます。それでは伸び伸びと大きく動くことができません。

 

とはいえ、あんまり始めるのが早すぎても、選択肢が多すぎてイメージが曖昧になると思うので、ここには「タイミング」ということも絡んできそうですが。

 

・2015年11月24日(火) 合氣道@王子

レギュラーの稽古日です。

いつもの生徒さんお二人と、相半身の片手取りを稽古しました。

相半身片手取りは二週間前の火曜日にもやったばかりだったのですが、稽古が週に一回だと、「やったばかり」という感じがあまりしないですね。だいぶ間が空いてしまったように感じます。

 

でも、お二人とも前回より動きが身体に定着しているように見受けられました。

技数はあまりやりませんでしたが、そのぶん一個一個の技の時間をいつもより多めにとって、丁寧に繰り返しました。


そういえば、休憩時間に雑談していて、「最初の一歩が課題です」というお言葉を聞きました。

最初の一歩がわかると後は流れていくのだけれど、最初がわからないとそのまま固まってしまうようです。

たしかにそうですよね。

「足がわかれば手はついてくるはず」ともおっしゃっていましたが、これもその通りだと思います。

意識して手を動かすのではなく、手は足に付随して動くものだ、ということですね。

 

ちょうどこの日やっていた技の課題も、「いかにして手を使わずに済ますか」ということでした。

小手先で技をかけたり腕力を使ったりしないためにはどうしたらいいか、という課題です。

手や腕を使わずに済ますためには、足の捌きをそのぶん使うというのが一つの解決策になります。

相手との距離が近すぎると腕が詰まって苦しいし、離れすぎると手を使って相手を引っ張ってこないといけなくなります。

そういうことをしないで済む距離を保つことで、手や腕の関与は結果的に減らすことができるわけです。

 

ただ、「ちょうどいい距離感」を保つためには、やはり「タイミング」も重要になります。

なぜなら、自分も相手も動き続けているからです。

お互いに止まっているなら、一度距離を決めてしまえばそれでおしまいですが、実際には常に自他の関係が変化することになりますから、タイミングよく足を捌いていかないと、すぐに距離が詰まりすぎたり、離れて関係が切れてしまったりするのです。

 

この「動きの中で」という前提が、感覚を磨く上でとても重要になってきます。

それは「全ては変化していくので、やり直しがきかない」ということでもあるからです。稽古の技は全て一回性のものなのです。

 

人は「いくらでもやり直しがきく」と思っていると、無意識に感覚を鈍らせます。

「自己都合でリセット可能」だと思っていると、知らず知らずのうちに致命的な間違いを犯しやすくなる。

これは人間誰しもそうでしょう。

 

だから、感覚をもし鋭敏にしようと思ったら、「やり直しはきかない」という前提で稽古することが必要です。

もし「全ては同じ事の繰り返しで、いくらでも後から取り返しがつく」と思っていたら、感覚が鈍くなっていきます。

そうしないと、「繰り返し」から来る退屈さに、私達の感受性が耐えられなくなるからです。

 

「かけがえのない瞬間」においてこそ、人の感覚は深化するものと思います。


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