たまには足を止めて

3月のワークショップが終了しました。

今回はかつてうちの合氣道クラスに来られていた方がお一人参加され、マンツーマンでの開催でした。

他に参加者がいなかったので、ゆっくり話をしながら進めることができました。

 

実施した内容ですが、自分の身体を緩めるエクササイズや背骨や手の感覚を深めるワークをしてから、相手を包み込んで和する武道的な接触の技法、場の中心を取るワークなどを行いました。

いろいろやりましたが、基本的に私がお伝えしたいことは「まあ、あんまり頑張って何かしようとしないで、たまには落ち着いて一休みするのはどうですか」ということです。

 

現代の社会生活において、私たちはいつも周りからせっつかれています。生産性や効率性が重視されて、非生産的で非効率な行為は評価されないどころか批難の的になることもあります。

もちろん、生産性や効率性が必要な場面はたくさんあると思うのですが、それ一辺倒では息が詰まってしまいます。もっと努力して、もっと生産して、もっと成長して…、と遮二無二頑張っていると、いったい何のために頑張っているのかわからないまま、止まることもできずに走り続けることになってしまいます。

もう辛くて辛くてしょうがないのに走るのをやめられないと感じた時には、ちょっと勇気を出して足を止めることも大事なのではないかと思います。

 

ずっと止まることなく走り続けてきた人の中には、足を止めることそのものを罪悪視している人もいると思います。止まることは罪であり、そんなことをしたら自分はもう誰からも評価されないのではないかと恐れている。それゆえ、どんなに苦しくても走るのをやめられなくなり、結果、どこかで無理が来て倒れるように脱落し、「なんてダメな自分なのだろう」と底なしの自己嫌悪に陥っていきます。

 

これといって何もせず、ありのままの自分自身に深くリラックスしている人を見つけることは非常に難しいです。

みんな「今ここ」にないものを目指して走っています。理想を求め、成功を求め、評価を求め、何を手に入れても、どこに到達しても、「まだまだもっと」と走り続ける。

たまに立ち止まってみれば、「ありきたりだけれど神聖なもの」がそこら中に降り注いでいるのですが、未来の結果を目指して走っているとそういったものは目に入りません。そもそも「今ここに既に在るもの」に満足しないからこそ、私たちは未来に向かって走って行くのです。

 

現状に決して満足しない「餓え」の感覚が人を成長させるのは事実だと思いますが、既に自分が受け取っているもの(たとえば命)への「感謝の念」を抱けないなら、たとえどれだけ前進したとしても、その心は貧しい物乞いのそれでしょう。そして、心が物乞いであるうちは、もしも欲しかったものを全てを手に入れたとしても、そこには満足もなければ感謝もないはずです。私はそういうのはやっぱりちょっと寂しいと思います。

 

もちろん、だからといって「別に何にもしなくていい」とは思いません。というのも、私たちの「ありきたりな日々」は、多くの人々の働きなくしては、一日とて維持することができないからです。

電車がいつも通りの時間に来るのも、いつも行くお店に今日も食べ物が並んでいるのも、やっぱり誰かがどこかで自分の仕事をきちんとしてくれているからです。そして、そのような「ありきたりな一日」が今日も維持されていることへの感謝の念を、各人が各人の仕方で、それぞれの居場所において表現することが、明日の「ありきたりな一日」を維持するために必要なことなのだと思っています。

 

でも、私たちは往々にして自分に与えられた「ありきたりな一日」に満足せず、それ以上のものを人生に要求します。

もっと特別な人間になりたい、社会的に成功したい、人から認められたい、「ありきたりな一日を生きるタダの人」でいるのは耐えられない。それで、私たちは未来に夢を描き、理想を追求し続けます。

 

でも、私は「ありきたりな一日」を超えて神聖な別の何かがこの世にあるとは思いません。夢なしでも私たちは生きられるし、理想がなくたって死にはしません。

もちろん、「夢や理想があるからこそ苦しいときも耐えられる」という場合もあるでしょうけれど、夢や理想がなかなか実現しなくていつも欲求不満であったり、うっかり夢が現実になってしまって「なんだ、実際にはこんなものだったのか」と気づいて、鬱病になるほど落胆したりする場合だってあります。

 

夢も理想も、あってもいいし、なくてもいい。

それくらいの距離感と温度がちょうど良いんじゃないかと思います。

 

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コメント: 2
  • #1

    らのじ (月曜日, 03 7月 2017 08:07)

    おはようございます。
    私は、ずっと自分を大きくしよう、大きくみせようとしてきた人間ですので、こちらの文章を拝見して肩の力がぬけたように思います。他の記事もこれから読ませていただきます。
    素敵な文章をありがとうございました。

  • #2

    湯浅和海 (水曜日, 05 7月 2017 02:21)

    >らのじさん
    コメントありがとうございます。
    最近すっかりブログをほったらかしだったので、お返事が遅くなってしまい、すみません(^_^;

    私の文章を読まれて、肩の力がぬけたように思われたとのこと、嬉しいです。
    ときどきリセットするのは、やっぱり大事なことだと思うのですが、実際の私自身はけっこう極端な性格でして、ガチガチに力が入っていたり、逆にダルダルに力が抜けてしまってグッタリしていたりします。
    できたら、ほどよくリラックスしていたいですね。