透明な心

最近、田舎に引っ越すことをかなり真剣に考えています。

私の生まれ故郷は東京のあきる野市というところなのですが、これが東京とは思えないほど田舎なのです。まわりは川と山ばかりで、そこら中に畑があって、私が小さい頃は家の近くに野菜の無人販売所もありました。駅を三つ行かないと本も買えないし、10年前くらいまではコンビニさえなかった。

 

でも、川がとても綺麗なところです。水が透き通っていて、その流れる音には人の心を穏やかにさせるものがあります。

昔、友達と一緒に川に入ってよく遊んだものです。大きな岩の上から男の子達が順々に飛び込んでいく。バッシャーンという大きな音、あがる水飛沫、そういった音や感触を私の心と身体はいまもまだ覚えています。

 

20歳を過ぎてからは、川よりは山に魅せられることが多くなりました。実家に帰る機会があると、川にもたまには行くけれど、山の中をただひたすら歩きたい衝動に駆られることのほうが多くなった。

私は登山コースも何も考えないで、目についたところからガサガサと山道に分け入っていき、盲滅法に歩き回りました。一度、歩いている途中で日が落ちてきてしまって、ずいぶん焦ったことがあります。自分の歩いている道がどこに繋がっているかなんていちいち事前に調べずに、身体が行こうとするほうにずんずん歩いていくわけだから、日が暮れる前に帰れる保証というものはないのです。

それで、一回「本当に真っ暗になる直前に、なんとか人の居る道に戻ってくることができた」という経験をして、ヒヤリとしたことがあります。そのときは、夜が迫ってくるにしたがって、どんどん山は妖しさを増していきました。闇が濃くなるたびに、周囲の気配が私を威圧し始めているように感じました。獣たちの息遣いのようなものもしばしば感じたし、由来のよくわからない壊れかけの社の前を通ったときには、明らかに異質な気配があった。

山というのは、そういう意味で川とは違うように感じました。「本当の山の中」というのは、人の住むところではないという感覚が私にはあります。

もちろん、川もまた大雨が降って氾濫したりすると、人を害することがあります。川で泳いでいて、何かの拍子に足を取られ、溺れかけたこともありました。それでも、私には、山よりも川のほうが友人のように感じられます。

川は、私には「明るく清らかなもの」と思えます。対して山は、「深い闇の入り口」に通じているように思われる。もちろん、「闇」の中を通り抜けることによって、私たちは多くのことを知るのですが、それでもやはり、私たちはずっと「闇」の中にいるわけにはいきません。それではたぶん、「闇」に取って喰われてしまうでしょうから。

 

私たちは自分から意識的に「闇」の中に入っていくこともあるし、「気づいたらそこに入ってしまっていた」という場合もあります。思春期の頃、生きていくことに何かしらの行き詰まりを感じてしまった人は、きっと後者の状態なのでしょう。

いつの間にか「闇」の中に入ってしまっていた場合、人は「光」を求めて彷徨います。誰も生まれたときから「闇」の中にいたわけじゃない。それを知っているから、知らぬ間に「闇」の中に入ってしまった人たちは誰しも、「なんとかしてここから出なければ」という想いに駆られるのだと思います。

 

そういう時、いったい何を道しるべにしたらいいのでしょう?

「光」なんてまったく見えないのに、私たちは「帰りたい」と思う。「光」こそが、自分の「生まれ故郷」のように感じる。

でも、心のどこかで「そんなのは単なるまやかしなんじゃないか」という気もしてきます。「結局、人間の心は『闇』によって編まれているのだ」という諦念がどうしても払拭できない。

 

この重く塗り固められた諦念は、しかし、ほんの一筋の「光」によって、ゆっくりと溶けていきます。たとえば、理解ある大人との出会いに恵まれた場合や、或る秘密を共有することになった同世代の友人の存在、たまたま触れ合う機会を得た動物たちとの嘘偽りのないコミュニケーションなどによって、人は「闇」の中から抜け出すためのわずかな「光」を見出す可能性があります。

そして、そういうとき、人はそれらの「光」に「どことなく懐かしい感じ」を覚えます。なんだか「ああ、これって知ってる」という気がするのです。

 

私たちはみんな、生まれたときには「光」の中にいたのではないか?

というより、私たちはもともと「光」そのものだったのではないか?

どうもわたしにはそんな気がします。

 

私の父は、私が17歳のときに他界しました。私より50歳も年上で、「お父さん」というよりも「おじいさん」みたいによく感じたものです。

彼はいつも「柔らかい諦念」のようなものをゆったりとした衣服のように纏っていました。私の中では父はいつも笑顔です。でも、その笑顔の裏には「どうしても言葉にできない悲しみ」のようなものが、ひっそりと存在していたように思います。

 

私の生まれ故郷であるあきる野市に引っ越してきたのは、父の意向だったようです。父と母が引っ越してきた当時はまだあきる野市ではなく、五日市町という名前でした。

この東京のはずれの田舎から、父は新宿の会社まで毎日毎日通っていました。まだ幼かった私が起きるより前に家を出て、私が眠ってから帰ってきました。それはきっと大変なことだったはずです。

でも、父はあきる野市(旧・五日市町)に住むことをあえて選んだのです。

 

父は俳句を嗜んでいました。若い頃には詩を書いていて、それから短歌を詠むようになり、最終的に俳句に行き着いた。

父は、生前に自費出版で句集を一つ出しています。「五日市」という名の句集です。私は俳句のことはさっぱりわからないので、一句一句の良し悪しは判断できないわけですが、それでも、父が「五日市」の自然の中で自分の俳句を育んでいったのだということは、彼の人柄からわかるように思います。

父は休みの日になると、俳句の集まりに行ったり、ノートを持って山に入っていったりしていました。それこそが彼にとって「最後に帰る場所」だったのではないかという気が私はします。

 

若い頃、成績優秀で将来を嘱望されていた父は、親戚縁者からお金を出してもらって高校に進学しました。でも、途中でお金が足りなくなり、父は高校を中退。中卒のブルーカラーとして、以降、定年退職するまでの数十年の長きにわたって働き続けました。

父が、職場の若い部下たちを評して「あいつらは大学を出ているのにこんなことも知らない」と言っているのを聞くことがありました。そこに父の悔しさが滲み出ていたように、今は思います。

 

私は最近、田舎に引っ越すことをかなり真剣に考えています。

もう一度、水が透き通った川の近くに住んでみたいと思っています。

今は兵庫の西宮に住んでいるのですが、このあたりには泳げる川なんてありません。私はときどき息が詰まりそうになります。

そういうときは、決まって空を見上げることにしています。晴れている空の「透明さ」は、私に川の水の「透明さ」を思い出させてくれるように感じるからです。

また、私自身の心にも、この「透明さ」は残っているのではないかと思います。

でも、それは別に私だけのことではなくて、きっと生まれたときは誰しも「透明」な心を持っていたのです。

しかし、大人はそこに、好き勝手に絵の具を塗りたくろうとする。自分が実現できなかった「何か」を満たすために、「子どもの心」というカンバスに、大人は実にグロテスクな絵を描くものです。

 

私は、川を見るとき、あるいは空を見るときに、自分の心を見るような心地がします。

そうして大きく一つ息を吸い込むと、「人間の心はこれほど広くて大きいのに、どうしていつも小さいことにばかり拘るのだろう」という気持ちになります。

そういう気持ちを持つ人が増えれば、きっと争いも少しは減るだろうと思います。

でも、だからといって「そういう気持ち」を他人に押しつけることなんて誰にもできません。必要なことは、私たち全員がかつては確かに「そういう気持ち」の中で生きていたのだということを、各自がそれぞれの仕方で折に触れて思い出すことではないかと思います。

 

外から押しつけられたものは、たとえどれほど美しく思えても、長い目で見れば人間の心を歪めます。

生まれたときから本人が持っていたものだけが、その人を真に美しくする。

私にはそう思えます。

 

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