「内側」に耳を傾ける

「身体の声に耳を傾ける」というのは、いったいどういうことでしょうか?

最近よく耳にするフレーズではあるものの、その具体的に意味するところが人々の間で了解されないまま、一種のファッションや流行のように「身体論」の漠然としたイメージだけが世間に拡散していっている感もあります。巷にはヨガやピラティスなどのレッスンスタジオが溢れ、少なからぬ人々がそういった場所に足繁く通っています。これは「身体」というものが持っている可能性に多くの人が関心を寄せている結果でもあると思いますが、ただ「何となくそういうのが流行だから」という動機で通っている人も多いように思います。教える側としても、「身体の可能性を開いていく」というところまで目的にしておらず、単に「都会の機械化した生活で不足しがちな運動量を確保すること」を目標にレッスンを提供している場合もあるでしょう。

それはそれで色んなニーズがあるわけですから、どのやり方が間違っているということはないと思います。ただ、「もっとプロポーションを良くして自分を綺麗に見せたい」とか、「レッスンに行くことを口実に、仲間内でのおしゃべりを楽しみたい」とかいった「浅い動機」で取り組んでいる人と、もっと「深い動機」から取り組んでいる人とがいるのは確かで、「浅い動機」から取り組んでいる人にとって「身体の声に耳を傾けること」は「実践的なテーマ」というより、自分が取り組んでいることをより見栄え良く彩ってくれる「ただの言葉」に過ぎません。

 

では、「身体の声を聴く」というのは何か「特殊な技術」なのかというと、そういうわけでもないと思います。それは、身体を通して何かを深く追求していこうとするときに、自然と生まれてくる一つの「態度」みたいなものです。

もし「身体の形」を良くしたいとか、「動き方」を綺麗にしたいとかいう時に、本人の動機が「他人からもっと良く見られたい」というところにあるならば、その探求は深くまでいきません。動機が「自分の外」にあるために、当人の取り組みは「自分の内側」を深く掘り下げていく方向には行かず、「自分の外面」を粉飾して手っ取り早く目に見える結果だけ手に入れる方向にどうしても傾きやすいからです。別に私はそれが「悪い」とは思いません。そもそも、それがその人の動機なのですから、「外面的な取繕い」は当人の真の動機に基づいた「正しいアプローチ」だと言えます。

でも、そういう人は、「身体の声を聴く」ということも「外面的な装飾」のために利用しようとするので、これを本当に実践することができません。それは、「他人に自慢するような技術」ではなく、自分の身体に対して誠実に向き合おうとする時の「必然的な在り方」だからです。

 

そもそも「身体の形が良い」というとき、その「良い」はいったいどのような基準に則した「良い」なのか?

もし何かしらの基準があるとするならば、その基準が妥当であると判断する理由はどこにあるのか?

またその基準が妥当でなくなる状況とはどんなものか?

 

もし自分の身体と丁寧に向き合っていれば、こういった問いが当人の中で自然と生まれてくるはずです。

自分が「良い」と思っていた形や動きは、ひょっとすると他人がどこかで「良い」と言ったことを信じ込んでいただけなのかもしれない。でも、本当にそれは「良い」のだろうか?

「良い」があるならば、必然的に「悪い」もあることになりますが、それならいったいどういう姿勢は「間違って」おり、どんな動きは質が「悪い」のだろうか?

 

こういった問いに対して、「明快な答え」を提示してくれる指導者が世の中にはたくさんいます。

でも、それらの「答え」が質問している当人の疑問を解決してくれるわけでは必ずしもありません。なぜなら、自分の疑問に深く絡め取られている人は、誰にどんな答えを与えられても必ず疑うからです。

「あの人はこの質問にこう答えた。さて、それは本当だろうか?」と、疑う人は誰に何を言われても疑います。もしどこかで「与えられた答え」に納得して問うことをやめたとしたら、その人の疑いは十分に深くまでいっていなかったということです。

疑う人の疑問を解決するためには「他人の答え」は役に立ちません。そして、どこまでも疑い続ける人は、いつか「全ての他人の答えは自分の役には立たない」ということに気づきます。その人の疑いが本物であれば、いつか必ずそうなる。そして、「他人に教えてもらっても何の解決にもならない以上、自分で試すしかない」という結論にその人は自然と至ります。

こうして、「疑う人」は「ただただ実践する人」になっていくのです。

 

もちろん、「指導者から言われたこと」を信じ切って、「規則」を忠実に守って実践している人も世の中にはいます。こういうのは人それぞれの生まれ持った性質ですから、最初から疑いなく信じられる人はそれで実践すればいいと思います。

でも、「他人が言ったことをそのまま信じること」がどうしてもできない人が、「信じることのできる人」と同じやり方をすることは不可能です。そういう人は「自分自身で実践の仕方を模索する」以外にありません。

 

ダンスにおける私の恩師である櫻井郁也先生が、若い頃、ある舞踊家に「冷たい食物を取ることは身体に悪いでしょうか?」と質問したことがありました。その舞踊家は「冷たい物を取ると身体を害する」という考えのもと、徹底して「温められた食物」だけを摂取していたそうです。質問された舞踊家はすぐさまこう答えたといいます。

「あなたが試したらいいじゃないですか?」

この言葉に、若かりし頃の櫻井先生は少なからぬ衝撃を受けたと語っていました。

 

「他人が信じていること」はその人にとっては適うかもしれませんが、自分がやるとなったら、実際にやってみないとどれくらい効果があるかわかりません。そもそも、その「効果」というものそれ自体が、自分にとって価値があると感じられるものかどうかも、やってみないとわからないのです。「他人の価値観」が「自分の価値観」と同じとは限らないからです。

 

徹底して疑う人は、どこかで「外側の誰か」に質問することをやめます。

それは「他人の答え」が間違っているからではありません。「他人の答え」はその他人自身にとっては何かしらの役に立っているものかもしれないが、それがそのまま自分の役には立たないだろうし、もし役に立つのだとしても、それは実際に自分で試した後になってからでないとわからない。当人にはそれが痛いほどわかっているので、いちいち質問しなくなるのです。

そのとき、疑う人は「自分の内側」に耳を傾け始めます。身体の感じていることに意識を向け、外側の言葉は忘れていく。

その過程で、「自分の考え」だと思っていたものの99%は「外からの借り物」だったということに、その人は気づきます。感覚においても、これまでずっと「自分は『感じている』と考えていた」だけで、実際には何も感じてなどいなかったということに気づきます。どこかで誰かが「こういう感じを持つのが『良い』のだ」と言うのを聞いて、その「感じ」を自分が持っていると考えていただけで、内側では何も感じていなかったということに気づくのです。

 

自分の内側に耳を傾ければ傾けるほど、それまで「自分」だと思っていたものの輪郭は溶けていきます。

「良い」と思っていたものが「良くも悪くもない」ものになっていき、「ずっと求めていた物」が「実はどうでもいい物」になっていく。「内側」にあると思っていたものは「外側」に起源を持っており、「外側」にあると思っていたものが「内側」で感じられる。「自分のもの」だと思っていた思考や感覚はどれもこれも「他人のもの」で、その奥にある「本当に自分が感じているもの」は、それまで「これが自分だ」と考えていた枠の中に収まりきらないで溢れ出す。社会的な身分や家庭内での立場、年齢・性別・人種・宗教、そういった「外側の決まり事」の中でしか形を取ることのないような「小さな自分」は、底が抜けてしまう。

そして、底が抜けた向こう側に、「非常に大きな流れ」が感じられてくる。「自分」をどこまでも追求していったら、「自分」は消えて、「無限」に繋がっていく。

 

そう、これもまた「ただの言葉」です。

私は、「自分」をどこまでも掘り下げていくと、「自分」が消えて「全て」になると知っています。でも、それは私以外の全ての人にとって「他人の言葉」に過ぎません。私の言葉なんて全て嘘かもしれないのですから、「疑う人」にとって私の言葉はきっと役に立たないでしょう。

もし私の言葉が役に立つとすれば、それは「言葉は究極的には役に立たない」ということを他人がより容易に自覚できるようにする場合においてだけです。「言葉が役に立たない」ということを本人が本当に理解すれば、そこから先は「自分なりの実践」だけが意味を持ちます。それが、以降無限に繰り返される「ファーストステップ」となる。

このような形での「ファーストステップ」以外に可能性はないということを理解するためになら、言葉は役に立ちます。そして、そこから先は、身体に聴くしかない。

 

もちろん、身体以外にも多くのものが「声」を発しています。鳥の鳴き声も、水の流れる様も、「独自の声」を発している。だから、一度そういった無数の声に耳を傾ける術を体得したら、わざわざ特定の誰かに会いに行って「質問」をしなくても、「答え」の方がこちらに流れ込んできます。

身体はその際の「通路」の一つです。それも、私たちにとって最も身近な。

 

追記

この記事に関連して、「身体の声を聴く」ということは本当のところ「技術」なのかどうかについて考察した記事を書きました。興味のある方はそちらもどうぞ。

『続・「内側」に耳を傾ける』

 

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