シンプルなこと

最近、無料でダウンロードできるロールプレイングゲームをいくつかプレイしていました。

「RPGツクール」というゲームを制作するためのソフトがあるのですが、それを使ってアマチュアの創作者達が作った作品をやっていました。内容は玉石混淆ですが、「商業用に作られていない」ということと、「基本的に個人で制作されている」ということもあって、「一般受けしないだろうけれど、非常にとがっている作品」とか、「個人の体験が濃密に凝縮されている作品」などに出会えることも多いです。単なる自己顕示欲というレベルを超えて、怨念とか執念とかに近い「何か」に突き動かされて作っているように感じる作品もあります。

 

私自身は、5歳になるかならないかくらいの頃にファミリーコンピューター(通称ファミコン)を親に買い与えられてから、ずっとゲーマーでした。子どもが自分一人でも遊べるというところが、テレビゲームの特徴だろうと思います。

両親は共働きで、私は生まれてまもなく保育園に入れられ、一人っ子だったこともあり、自分だけで遊ぶことが多かったです。一緒に遊ぶ相手がいてくれたら楽しいだろうなと、ときおり思ったのを覚えています。

保育園に親が迎えに来るのはいつもだいたい私が最後で、周囲が暗くなる中、保育園の先生と一緒に母が迎えに来るのを外でずっと待っていた記憶がかすかに残っています。

家でも一人きりで留守番をすることが多く、親から家の鍵を持たされていました。いわゆる「鍵っ子」です。親がパートタイムの子守を雇っていたこともありましたが、たいていは一人でした。

親が家にいるときも、親自身は家事や休息に忙しそうで、私は一人でテレビの前に坐って同じビデオを何度も何度も見ていました。特にドラえもんの映画をよく見ていたと思います。「ビデオが子守り代わりだった」と、ずいぶん後になって親自身の口から聞きました。

 

そういった自分の境遇について「不幸だ」と思ったことはありませんでした。

あるいは記憶に残っているよりも以前には「さみしい」と思ったことがあったのかもしれませんが、4歳よりも前に自分が感じていたことを私はどうしても思い出すことができません。生まれて間もない頃の私がもし「さみしい」と思っていたのだとしても、4歳になる頃にはきっともうすっかり「一人きりである」ということには慣れっこになってしまっていたでしょうから、どっちにしても、「自分は不幸だ」という感覚は、私の記憶にはまるで痕跡を残していません。

 

今ではもうゲームに没頭することも減りましたが、10代~20代の前半ぐらいまでは、20時間くらい平気でぶっ通しプレイしていました。「それだけの熱意を持って何かの道を突き詰めていれば…」と言いたくなるところですが、まあ、それは今更言っても仕方のないことですし、当時の私はゲーム以外の何にもそこまで心を奪われることがなかったのですから、これも「巡り合わせ」というものでしょう。

 

私は、小学校の2年生くらいの頃から「自分は致命的な欠陥を持っているのではないか?」という考えに囚われるようになっていました。より正確な表現で言い換えると、「まわりが『正常』で、自分だけが『おかしい』んじゃないか?」という疑いに取り憑かれるようになったのです。

でも、別にこのこと自体は現代の日本では「よくあること」だと思います。そもそも日本は歴史的に「自分と隣人は同じ」という村社会的な閉鎖性を宿している国です。日常生活のあらゆる場面で、「あなたも私たちと同じように振る舞わなければならない」という同調化の圧力が常に働いています。

しかし、第二次大戦後、時代の流れとともに他国との国際的な交流は盛んになり、必然的に価値観は多様化していきました。同時に通信技術の発達によって情報は溢れかえっており、「世の中には『色んな事』を考えている人がいる」ということを、私たちはもうイヤと言うほど知っています。何を「価値」と見て、何を「無価値」と見るかもどんどんばらけていっている。

それにもかかわらず、「同調化」の圧力だけが変わらず働き続けているので、「みんなと同じであれ」という日本の空気と、「みんなそれぞれに違っていて当たり前」という時代の空気との間で私たちは引き裂かれがちです。

 

私たち日本人は、それぞれに小さい集団を作り、その内部で「これが正しくて、これは間違っている」ということを言い合っています。その集団から一歩外に出たら通用しなくなるような価値観でも、内部で「これが正しいのだ」と言い合っていると、本当に正しいような気がしてくるものです。そして、その「作り物の正しさ」が、集団に所属する人々の不安感を静めるための「精神安定剤」として広く利用されています。

また、集団の中にいる人は、その内部秩序に逆らわないよう、時として自分を装わねばならない。「ありのままの自分」を出してしまったら、「おかしな人」として追い出されるかもしれないからです。

しかし、もしもこの「装い」があまりにも「本来の自分」を裏切るようなものであった場合、その人は集団の中にいることによって次第に窒息感を抱くようになります。たとえ本人に自覚がなかったとしても、自分の何気ない微笑みが、会話の中で無意識に繰り返している相槌の一つ一つが、「自分自身への裏切り」であると心の深い部分ではわかっているからです。

 

「おかしな人」は決して同調できません。この社会に適応することもできない。だから、「ちゃんとした大人」として認めてもらえることもたいへん稀です。

でも、生きています。必死に集団の中で日々自分を裏切りながら、あるいは、たった一人きりで自分を貫きながら、たしかに生きているのです。

 

どうしてみんなが笑っていたら一緒に笑わないといけないんだろう?

どうしてみんなが泣いていたら一緒に泣かないといけないんだろう?

私は自分が笑いたいときに笑いたいし、泣きたいと思ったときに泣きたい。

それはそんなに「おかしなこと」なんだろうか?

 

私が「別にそれはおかしなことじゃない」と思えるようになったのは、割と最近のことです。

高校時代、私は学校の勉強にウンザリして不登校になりました。そして、私がなんだかんだで復学したとき、周りのみんなは受験勉強に本腰を入れ始めていましたが、私は学校の玄関ホールでたった一人踊ってばかりいました。私が卒業した年度は、私以外の全員が「大学進学」か「浪人」かでした。地元では有名な進学校だったのです。たしか私の学年だけで200人ほど生徒がいたと思うのですが、専門学校に進学したのは私一人でした。

その後、ダンスの専門学校で稽古し続け、壁にぶつかり、私は急に踊ることができなくなりました。何を踊っても「欺瞞だ」と感じられて身動きが取れなくなった。周りのみんなは、就職活動をしたり、オーディションを受けに行ったりしていましたが、私はそういったことを一切やらなかったので、卒業してから「無職の引き籠もり」として3年ほど過ごすことになりました。

 

この引き籠もり時代の3年間に、どれほどゲームに命を繋いでもらったか。

私は毎日毎日ゲームをし続けました。私は完全に依存症患者でした。ゲームをほんの少しでもやらないでいると、耐えがたい虚無感と自責感に押し潰されそうになりました。でも、もしもゲームがなかったら、たぶんその時に自殺していたと思います。ゲームはたしかに、私の命の時間を稼いでくれたのです。

 

最終的に、その泥沼の引き籠もり生活から這い出ることができたのは、「文章」と「自分の身体」のおかげでした。

そのとき、私は内田樹の思想書と村上春樹の小説を並行して読んでいました。どちらの文章からも、私は「諦念を踏み越えた肯定」のようなものを感じていました。現代の歪みや不条理をまったく視界に入れないまま「明るく朗らかに」と歌い上げるような、巷に溢れているあの「浅薄な調子」がそこにはなく、そういった文章に触れる中で、私は自分に対して「ひょっとしたらオレは少しおかしいのかもしれないけれど、それでもたしかに人間だよな」と思えるようになっていった。

そして、文章によって心にわずかばかりの滋養を受け取りながら、私は自室から出て、毎日散歩をするようになっていきました。いつも近所の決まった公園に行くのが日課になった。ダンスをやめてしまってから、身体を動かすのは久しぶりのことでした。

 

ある日の夕暮れ時、いつものように私が公園のベンチに坐ってボーッとしていると、小学校高学年くらいの男の子が母親と二人でやって来るのが見えました。そして、二人は私から少し離れた芝生に行くと、男の子がそこで逆立ちの練習を始めたのでした。

たぶんその男の子は体育の授業か何かで課題として逆立ちをするよう言われたのでしょう。母親と思われる女性は、不慣れな手つきで男の子の動作を補助し、いかにも素人らしい頼りなげな助言をしていました。

私はそれを見ていて、自分がかつて器械体操をやっていたことを思い出しました。高校時代にも、ダンスの練習で色んな形の逆立ちを練習したことを思い出した。そういったことを思い出していると、「自分だったらもっと的確に助言してあげられるのにな」とか、「補助をするときの手の使い方はもっとこうしたらいいのに」とか、言いたくなってきた。

もちろん私は何も言わずに見てましたが、日が落ちて暗くなってくると、二人は帰っていきました。

空っぽの芝生を見ていて、久しぶりに私も逆立ちがしてみたくなりました。腕の筋力は落ちいましたし、骨の強度も弱くなっていたようでしたが、試しにやってみると、まだ逆立ちができました。

そして、「何もかもが不可能になったわけではないんじゃないか」と、わずかでしたが、そのとき私は思いました。

 

それからは、公園に散歩に行って、かつて自分が習ったことをそこの芝生でもう一度やってみるようになりました。昼間は恥ずかしいから、日が暮れて人がいなくなってから一人で稽古していました。

ブレイクダンスの先生に教わったこと、バレエの先生に習ったこと、モダンダンス、ジャズダンス…色んな先生の色んな言葉が思い出されました。それはもはや「上手くなるためにする練習」ではありませんでしたが、私にとっては「欠かすことのできない日課」になっていきました。

 

私はそれから、朝の2~3時間だけ働くパートタイムの仕事を見つけて働き出しました。

実のところ、私にとってそれが人生で初めてまともに働いた仕事でした。

仕事場の誰も、私がかつて何回ターンを回れたかとか、どれだけ高く空中回転できたかとかいったことを知りもしませんでしたけれど、そういったこととは違う価値を私は少しずつ学び始めていました。

 

その後も何度も、仕事をやっては心身を壊して続けられなくなり、資格を取るために学校に通っては雰囲気に馴染めず退学しました。今思い返してみても、「失敗」と「逸脱」の連続です。

相変わらず自殺を考えることはありましたし、精神科の世話になったこともたびたびありました。

でも、結局まだ死んでいません。色んなものでその時々の命を繋ぎ、時間を稼ぎ、幸か不幸か、死なずに来ました。

 

ついこのあいだ、ある人に「どうして生きていられるのですか?」と聞かれたのですが、私の答えはシンプルです。

腹が減ったら食って、眠くなった寝る。そうしたら、生きていられる。

 

思うに、大事なことほど「シンプル」なんじゃないでしょうか?

私が一人きりで坐って自分の呼吸を感じているとき、不意に何か「温かいもの」が内側から満ち溢れてくることがあります。でも、それが起こることを狙っていると何も起こらないし、「悟り」だとか「超能力」だとかを求めて坐っていても、迷いが深まるばかりです。

 

私は、今ここで、呼吸をしている。

その「シンプルな営み」に、もう「大事なこと」は全部詰まっているような気が、私はします。

 

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