本当の問題

PLATFORMは、以前、「ダンスと合氣道の教室」という看板を掲げていました。

ただ、今年に入ってからいろいろ考えが変わりまして、ダンスも合氣道も教えることはやめて、そもそも「教室」という言い方もなるべくしないようになりました。

もちろん、ダンスや合氣道の技術を教えることそれ自体が無意味だとは思いませんが、それは別に私がやらなくても他に適任の人がいくらでもいると思います。私にとって重要なことは、「より本質的な問題」を引きずり出すことであり、それぞれの人が「自分自身の本当の問題」と直面できるように手助けすることです。そのために技術の習得が役に立ちそうならそれを利用するし、反対に、技術の習得に励むことでかえって「本当の問題」がはぐらかされてしまうような人に対しては、「技術に寄り掛かることができない状況」をあえて作り出すようにしています。

「上にのぼりたい」と欲している人には「ハシゴ」を貸して、のぼり方を自分で練習してもらう。

一度のぼった後になっても「のぼり終えた達成感」に執着して、のぼったり降りたりを繰り返している人からは「ハシゴ」を取り上げます。

それが私の基本的なやり方です。

 

いずれにしても、私は「教える」ということがあんまり好きではないです。

もっと言うと、「自分の下に教えを待っている人間がいる」ということも「自分の上に教えを授ける人間がいる」ということも、どっちもイヤなのです。

私は誰の師にもなりたいとは思わないし、誰かの弟子になりたいとも今は思わなくなりました。

私はただ、「自分自身」でありたいだけです。そして、誰もがもっと「ありのままの自分自身」になったらいいと思っています。

そういう考えをするようになってから、「教室」という表現を私は使いたくなくなりました。PLATFORMは「私が何かを教える場所」ではなく、「自分自身で学ぶ人が、その過程のおいてたまたま立ち寄る場所」なのだと、現在の私自身は考えています。

 

もともと、私が最初に「PLATFORM」という名前をつけたとき、私はそこに「折に触れて立ち寄る場所」というイメージを込めていました。ちょうど駅のプラットホームみたいなものです。

そこは「ずっと居続ける場所」ではなくて、「別な所に行くために一時だけ立ち寄る場所」です。人によっては、道に迷ってしまってどうするか考え直すために立ち寄るかもしれないし、なんとなく気分が優れなくて一時的に休憩するために立ち寄る人もいるでしょう。少しの間、何も考えずにそこでボーッとしているのもいいかもしれない。

でも、いつまでもそこに留まっているということはなくて、いつかはみんなそれぞれの進路に向けて、立ち去っていく。どこに向かうかは人それぞれ。次の進路は、それぞれの人が自分で決める。

 

こんな風に「みんなが各々の道をバラバラに行く」というのが、たぶん私は好きなんだと思います。

私は私なりのやり方で、一つの「PLATFORM」を主宰している。たまたまそこを訪れた人は、何かを感じたり考えたりして、また「自分の道」を進んでいく。私のところに来たことで「新しい目的地」が明確になる人もいるかもしれないし、「もうどこにも行かなくていいや」と思って「自分の家」に真っ直ぐ帰っていく人もいるでしょう。いずれにしても、そうやって人々がバラバラになっていくのが私は好きなんです。

 

誰もが「自分なりのPLATFORM」を主宰したらいいと思います。規模は小さくたっていいし、たとえ誰もそこに立ち寄らなかったとしても、それはそれでまた美しい。

誰もそこに「安住する」ために立ち寄ることはなく、それぞれの人が「自分の旅」の過程でたまたま訪れるだけです。

そもそも本当の「安住の地」は、全ての人が自分の内側にもともと持っています。これに関しては、私は確信しています。

もちろん、長いあいだ顧みられなかったことで、「内側」は荒れ果てている場合もあります。その荒涼とした「内的な砂漠」を前にして、自分の外側に「安住の地」を探しに行きたくなることも私たちにはあります。

でも、このような「内側の砂漠」こそが、私たちが直面すべき「本当の問題」だと私自身は思っています。私たちの中にある恐怖や暴力性が直視されない限り戦争はなくならないでしょうし、私たち一人一人が自分自身に安らぐことができない限り、自分の抱える「満たされ無さ」を誤魔化し続けるために私たちは他人から際限なく奪い続けることになるでしょう。

これほど科学技術の発達した世界でなおも戦争や飢饉がなくならないのは、私たち一人一人が「他人を殺さずにはいられないほど怯えているから」であり、「必要以上に多くの物を持ち続けないと恐くて仕方がないから」です。「本当の問題」は「私たちが自分自身から逃げたがっている」ということであり、戦争や貧困というのはその結果として現れてくる「症状」だと私は思っています。

 

だから、私は「私の問題」と向き合う。

別な人は、その人なりに「自分の問題」と向き合う。

時間がかかることはわかっていますが、それだけが「対症療法」という域を超えて、真に「症状の根っこ」を取り除くためのただ一つの道だろうと私は思っています。

 

次の記事へ

前の記事へ