道場建設の中間報告

この数日、畑での作業時間を少し減らして、道場を作るために時間を優先的に使っています。「タイムリミット」が近づいてきたからです。

妻の出産がせまってきているのですが、実際に子どもが生まれたら、これまでのように「自分のしたいこと」に優先的に時間を使うのは難しくなるでしょう。それに、私がいま道場建設の工事をしている倉庫がある位置は、産後に妻と我が子が過ごす予定の寝室と、壁一枚隔てた隣りになっています。それゆえ、出産直後で心身共にデリケートな状態にある母と子を工事の音で脅かさないで済むように、大きな音が立つ作業はいまのうちにまとめて片付けておこうと思いました。

 

それで、昨日と一昨日の二日間は、かなり集中的に作業をおこなったのですが、おかげでだいぶ進みました。せっかくですので、今日は道場建設の進捗状況のお知らせと、これまでの経過報告をしようかと思います。

 

ちなみに、二週間ほど前に日誌で「工事の進捗状況」をお知らせしたときには(こちらの記事です)、床下に敷く根太を切って並べただけの状態でした。

約半月前の状態
約半月前の状態

半月前は、上の写真の状態から、まず並べた根太を一個ずつネジで連結・固定していったのですが、慣れないうちは電動工具でネジを締めるのがうまくいかず手間取りました。でも、部品をあれこれ取り換えつつ試行錯誤を繰り返していくうちに、問題なくネジ締めがおこなえるようになったので、それから後は作業スピードがだいぶ上がりました。

ネジ締め完了後は、木材が地面から浮いている部分を埋めていきました。根太に使った木材のたわみや下のコンクリートの起伏の影響で、どうしても隙間ができてしまうところがあったのです。多少の隙間なら、むしろ床下の通気性がよくなって好都合なのですが、あんまり浮きすぎてしまっていると、後で上から乗ったときに木材のどこか一点に負荷が集中して折れたりすることが懸念されました。

それで、どうやって浮いている部分を埋めるか色々な案を検討したのですが、結果的には「ベニヤ板を重ねて下にかませる」という方法と、「コンクリートを隙間に流し込んで固める」という方法の二つを実施しました。ベニヤ板は、ホームセンターに行けば何種類か厚さの異なるものが売っているので、それらを適宜組み合わせることで高さ調節もできるし、自分で形を加工するのも容易です。またコンクリートについても、水を加えて混ぜるだけで使える「インスタントコンクリート」というものが、25㎏入り500円程度でホームセンターに売っていましたので、低コストで使えると思い、試しにやってみました。

 

これら「ネジ締め」や「隙間埋め」の作業は、見た目にあまり変化がないということもあり、写真を撮ることをしていなかったのですが、三日前までの時点で完了していました。

しかし、予定していた作業工程全体から言うと、これでやっと3分の1まで到達したかどうかというところです。まだまだ先は長いのです。

それでも「先がどれだけ長かろうと、毎日やっていればそのうち終わるだろう」と思って割とのんびりやっていたのですが、このままだと妻の出産前後のドタバタで完成がかなり先になってしまうように感じました。妻にもそのことを指摘され、一昨日からようやく本腰を入れて工事に専念し始めた次第です。

 

ということで次の工程ですが、まず床下の湿度を調整してくれる「調湿剤」と呼ばれるものを根太の間に敷き詰めます。調湿剤は、床下などに置いておくだけで、まわりの湿度の変化に応じて「乾燥」と「加湿」の両方を自動的にしてくれるものです。まわりの湿度が高いときには湿気を吸収し、反対に、湿度が下がって乾燥してきたら吸着していた湿気を離すという反応をして、周囲の環境の湿度調整をしてくれます。

前の記事でも書きましたが、私は今回、コンクリートの上に直接根太を設置する工法を採用したので、床下を空気が通るスペースがほとんど確保できていません。コンクリートが最初から床一面に打ってあったので、そのまま根太を敷くだけでも強度的には問題ないようなのですが、この工法は通気性が非常に悪いです。このあたりの雨期の気候がどんなものか私はまだ知りませんが、かなり湿度が高くなるのではないかと予想していますので、湿気対策をなにも講じないでいると、おそらくすぐに根太が腐ってしまうと思われます。

 

そこで、調湿剤を使おうと思ったわけです。どれくらい効果があるものかわかりませんけれど、何もやらないよりはマシでしょう。

調湿剤にもいろいろな種類があるようで、シリカゲルを使ったものや炭を利用したものなどが見つかりました。ただ、シリカゲルは価格こそ安いのですが効果の経年劣化が激しそうなのでやめて、炭は半永久的に効果が続くそうなのですが高すぎて手が出ませんでした(試算したところ、炭製の調湿剤を床一面に敷くと、それだけで10数万円かかることがわかりました)。

他に調湿剤でポピュラーなものには、「ゼオライト」という天然の鉱石を利用したものがあるのですが、最終的にはこれを使うことに決めました。ゼオライトは多孔質の構造をしていて、その無数に空いた穴の中に水を取り入れたり、そこからまた水を離したりするらしいです。効果も半永久的に続くし、炭ほど価格も高くありません。

それでもかなりの量がいるので、安く売っているところがないかネットと近所のホームセンターを探してまわり、あるホームセンターでゼオライト製の調湿剤を他のお店の半額以下でセールに出しているところにたまたま遭遇し、そのまま一気買いしました。

それで、実際に調湿剤を敷いた様子が、下の写真です。

写真の中の、木と木の間に見える「白いジャリジャリ」がゼオライトです。

そして、手前のほうに見える水色の板みたいなものは「断熱材」で、これを床下に入れることによって、寒い時期の底冷えをいくらか和らげることができるらしいです。

断熱材を根太の隙間に入るようにカッターで切って加工し、なるべく根太の上端とピッタリ合うように金具で固定しつつはめ込んでいきます。このあと上から板を貼っていくのですが、根太や板と断熱材のあいだに隙間が残っていると断熱効果が下がるそうなので、隙間をなるべく減らすようにピッタリはめ込むようにしました。

 

結局、調湿剤と断熱材を入れる作業だけで丸一日かかってしまい、一昨日はそれで終わりました。

次はいよいよ、この上に板を貼っていく工程です。昨日は午前中を使って、まだいくらか残っていた調湿剤と断熱材の作業を最後まで終わらせ、午後に板を打ち付けました。

使っている板は、ベニヤ板を複数枚重ねて圧着した「合板」と呼ばれるもので、単層のベニヤ板よりはるかに耐久性があり、ある程度は耐水加工もされているようです。

ちなみに、私が注文して取り寄せた合板は厚さ12㎜のものなのですが、あとで調べたら、強度を高めるためにもっと厚くした合板も存在していることがわかりました。のちのち道場として運用し、床の上で合氣道の技を稽古をしたりすることまで考えると(我が子に技を掛けてもらうのが夢です)、やはり強度は大事です。でも、私がホームセンターのDIYアドバイザーに相談したときには、「道場にして使うつもりだ」と伝えていませんでしたし、そういう用途のために床を改築する人もネット上でまったく見つからなかったので、「もっと厚い合板があるので、それを使ったほうがいいかもしれない」という考え自体が私の中には浮かんできませんでした。

とはいえ、知らなかったものは仕方ないので、今回はこのまま行きます。

ネジ締め中(撮影協力:妻)
ネジ締め中(撮影協力:妻)

合板がずれにくくなるよう互い違いに並べ、ネジを使って一枚ずつ根太に固定していきます(ちなみに、この並べ方は「千鳥張り」と呼ぶそうです)。

だいぶ出来上がってきましたが、昨日できたのはここまで。

残りは端っこの部分なので、部屋の形に合わせて合板を切る工程が必要になります。「ただ貼っていくだけ」というわけにはいかないので少し手間がかかりそうですが、たぶん今日中には終わると思います(いま朝なので、これから朝ご飯を食べて、作業を再開します)。

合板を敷き詰めるのが完了したら、あとは畳を敷いて、それを固定するための外枠を設置したら完成です。

あともう少しです。

 

畳の注文はまだしていないのですが、近所の畳屋さんに頼もうと思っています。

畳の発注を依頼する際に、「どういう場所に設置するか」ということが目に見える形ではっきりしていたほうが具体的に話を進めやすいかと思って、合板を貼り終わるまで畳屋さんに行くのは保留にしていたのです。

実は、この道場の建設に着手する際、「工事に必要な木材の量」が自分の中で正確に割り出せていないまま製材所に行ってしまい、そこで受付けの方から「どういうものがそれぞれいくつ必要ですか?」と聞かれて絶句してしまったことがありました。我ながら、「考えが足りていなかったなぁ」と思います。

今回はその反省を活かし、大きな注文の前には自分の中で「ビジョン」を明確にしておくことが大事だと思って、畳の発注を保留にしていたわけです。

 

そういえば、一昨日のことですが、私たち夫婦がいつもお世話になっているお隣さんが、私の工事現場を見にやって来ました。ついこのあいだ小学校一年生になったばかりの男の子が、おばあちゃんと一緒に塀の向こうから私の作業場を見ていたのですが、そのままお母さんも連れ立って、三人でうちにやって来たのです。

その三人と話している中で「ここを工事していったい何に使う予定なの?」と聞かれ、私はちょっと気恥ずかしかったのですが、「道場にして稽古に使うつもりです」と正直に答えました。

私が兵庫にいたとき合氣道をやっていたことは伝えてありましたので(破門になったことは言ってませんが)、「それならうちの子に合氣道を習わせようか」という話になりました。以前から、「うちの子は少し身体の弱いところがあって」という訴えをおばあちゃんなどから聞いていたので、きっと「身体を強くするきっかけ」のようなものを探していたのだと思います。

 

たしかに合氣道を稽古すれば「体の力」もつきますが、それ以上に「心の力」が育ちます。

もし心の中が喜びや熱意で満ちていれば、たとえ体力があまりない子でも根気強く物事に取り組むことができるでしょうし、何か失敗することがあっても、諦めることなく自分の足で前へと進んでいけるでしょう。

反対に、腕力ばかり強くても心がちゃんと落ち着いていないならば、当人はその腕っぷしを「正しい仕方」で使うことができません。「体力ばかり有り余っていて、心の中は散らかっている」という状態は、まわりの人にとっても大変ですし、本人自身も苦しいものです。

全ての「力」には「方向付け」が必要です。「体力」のある人は、それを人や物を壊すのに使うこともできるし、弱っている人を守ったり、他の人が運べない重い物を運ぶのに使ったりもできます。「知力」のある人は、それを他人を非難したり世の中の不条理を嘆いたりするために使うこともできれば、「自分の弱さ」をどうやって克服するか考えるために使ったり、苦しんでいる人がどうしたらその「苦しみ」から抜け出せるかを考えるためにも使うことができます。

「力」はしょせん「力」に過ぎません。問題は本人がそれをどう使うかです。

そして、「力の使い方」を決めるのは、いつも私たちの「心」なのです。

 

「心の強い人」というのは、見た目以上に「強い」ものです。

困難にぶつかっても挫けないし、もしどこかで挫けてしまっても、自分の力で立ち直ります。身体がたとえ弱っても、気持ちまで一緒に弱ってしまったりはしないので、自然治癒力も発動しやすいです。

「身体をどう育てるか」ということも、もちろん大切なことですが、「心をどう育むか」ということもまた、大人は考えないといけないと思います。そして、まず私たち大人自身が、もっと「心の豊かな人」となって、子ども達に範を示すべきだとも思います。

なぜなら、子ども達は大人よりずっと「豊かな可能性」を持っているのに、まわりにいる私たち大人が「その可能性をどういう風に成長させるか」といった方向性を、きちんと示してあげられていないことが多いように私には思われるからです。

 

うちのお隣のお母さんは「我が子に合氣道を習わせてみたい」と思っておられたようですが、男の子自身がどう思っているのか、結局そのときは聞けず仕舞いでした。彼自身の気持ちも聞いて、今後どうするかを決めていきたいと思います。

どちらにしろ、私は「合氣道の技術」を教えることにはあまり興味がありません。他人を投げとばしたり、関節を締め上げたりすることができるようになっても、今のような時代にはさして意味がないと思うからです。

重要なのは、「合氣道の技術」を習得することではなくて、その技術の中に溶け込んでいる「命の本質」を知ることです。技術を「ただの技術」として身につけるだけでは意味がなくて、その技術の中に表現されている「普遍的なもの」を会得しなければ、せっかく稽古する意味がありません。

なにより「血の通っていない単なる形(かた)」を何度も再現するだけなんて、「つまらない」とは思いませんか?

「先人が遺した形に溶けているもの」が、日々の生活の中で自分が目にしている万物にも等しく溶けているということを、自分自身の心と身体で知りたいとは思わないでしょうか?

子ども達は本当は既に「それ」を知っています。大人だけが「それ」を忘れている。

子ども達は既に「本当のこと」はみんな知っています。ただ、「自分は何を知っているのか」ということと、「それをどうやって守り、育てていったらいいのか」ということだけを彼らはまだ知りません。そのことを教えることこそが、真の意味での「教育」なのではないかと、私自身は思っています。

 

今の日本では、「本質」を忘れた大人たちが、よってたかって「非本質的なこと」を子どもたちの頭に詰め込んで、子どもの中で現に脈打っている「本質」を曇らせてしまいがちです。

だから、私は大人に指導をする際は、「技術」をなるべく教えずに「本質」だけを伝えるように努めます。「本質」を忘れたまま「技術」だけを詰め込んでも、大人はそこから「非本質的なこと」をしか引き出すことができないと思うからです。もちろん、練習によって「教わった技術」を上手くできるようにはなるでしょうし、そのことに本人はささやかな満足を見出すかもしれませんが、それは「本質的なこと」ではないのです。

反対に、子どもに指導する時には、あえて「技術」を教えます。それは彼らが大人に比べてまだ「本質」のすぐ近くで生きているからです。だから、「血を抜かれたまま死んでいる形」に、子ども達は「自分自身の本質」から「新しい血」を活き活きと注ぎ込むことが比較的容易にできます。

また、「本質」をまだ忘れていない子ども達にとって大切なのは、そのまま「本質」から離れないで生きていくことですが、ひとつここに問題があって、子どもというのは非常に飽きっぽいところがあるのです。おそらく、彼らはあまりにも「新鮮な目」で世界を毎日眺めているので、「単調な物事」に長く耐えられないのでしょう。

そういう場合、「技術的に上手くなっていく」ということが、彼らのモチベーションを維持する上で大きな支えになることがあります。新しい技術を学んだり、既に学んだ動きが上達したりすること自体は「非本質的なこと」ですが、それらをあえて利用して、子ども達を「本質」のそばに繋げ止めておくことができる場合もある。つまり、「もっと新しいことをやってみたい」と思う彼らの溢れんばかりの好奇心や、「もっともっと上達したい」と願う熱く燃えた向上心、「自分の力でできるようになりたい」と望んであえて困難にぶつかっていく独立心などを、「技術的に上達していく」という「非本質的な道」を辿ってもらいながら、少しずつ育てていくというわけです。

 

大人に指導する時と子どもに指導する時とでは、それぞれに異なった振る舞い方が求められますし、個別に微妙なコツがあります。

でも、最終的な目的はどちらも同じです。それは、「命の本質」に深く根ざすことによって、自分自身の生をより活き活きと生きることができるようになることです。そのために技術が役に立つなら利用するし、技術に固執することで当人が活き活きと生きられなくなっているなら、その人がしがみついている技術を私のほうで取り上げます。それが私のやり方です。

 

そういうわけで、「合氣道教室」というようなものになるかどうかはまだわかりませんが、近所に需要があることはわかりました。

基本的にPLATFORMの全ての活動は私の個人的な稽古・研究の延長線上にあるものなので、「やりたい」という人がいたら応じますし、そういう人がいなければ私はいつも通り一人で「自分のこと」をやります。

先のことはどうなるかわかりませんけれど、いずれにしても、まずは道場を完成させてから、ですね。

 

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