感覚を深める技法

・「技法」=「アプローチ」

 今回から、いよいよ具体的な技法の解説に入っていきます。

 まずは「感覚を深めること」から始めようと思いますが、ここでもう一度、前項でも提示した「技法による三つのアプローチ」を確認しておきましょう。

 

 「三つのアプローチ」

  • 感覚を深める
  • 思考を観察する
  • 感情を乗りこなす

 

 以上の三つです。

 私が提示している技法に限らず、この世界に存在する多くの技法は、実践者の「生命力」を高め、「自分自身への理解」を深めてくれます。そういう意味で、どの技法も「目指す方向性」は同じなのですが、「目指す方向へのアプローチの仕方」がそれぞれに異なるのです。

 それはちょうど、「同じ山を違う道から登る」ということに似ています。最終的に、どの「道」を通ってもいつかは「頂上」に到達します。しかし、どこからどういうルートを通って登るかによって、途中で体験することや見える景色は異なってきます。また、たとえ誰かと並んで同じ道を歩いているときであっても、それぞれの感受性や生まれ持った資質によって、一人一人の「体験の質」は変わってくるでしょう。

 

 それから、人によって「合う道」と「合わない道」というものが必ずあります。ある人には非常に大きな効果を発揮した技法であっても、全ての人にとって有効とは限りません。実に多種多様な技法がこの世界には存在していますが、それは、誰もが「自分に適したアプローチ」を選択できるようにするためなのです。

 「誰にでも必ず適合するアプローチ」というものが無い以上、「何人かの人にとって有効ではなかった」というだけで、「その技法には存在する価値がない」といったことは簡単には言えません。同様に、「何人かの人にたまたま有効な技法であった」というだけで、「全ての人がこの技法をおこなうべきだ」というようなことを主張するのも間違った態度であると言えるでしょう。

 大切なことは、「全ての人が『頂上』を目指して進んでいけるようになること」であり、それこそが「技法の存在意義」なのです。

 

 ところで、私は説明のための便宜上、自分の技法体系を「三つのアプローチ」に分けたのですが、これらはお互いに深く関連し合っており、それぞれがそれぞれの補助として働く関係にあります。

 しかし、その「エッセンス」は一つです。先ほども書きましたように、どのアプローチを取っても、最終的には「頂上」に到達します。それゆえ、全てのアプローチを必ずしも満遍なく実践しなければならないわけではありません。

 もしも「エッセンス」を掴み出せたなら、三つのうち二つを捨てても先へ進んでいけますし、三つすべてをミックスして一度におこなうこともできます。

 重要なことは、技法の「エッセンス」を自分自身で見出すことです。そうすれば、私が提示している技法にばかり固執したり、私が便宜的に設定している実践の手順に縛られることもなくなるでしょう。人によっては、自分で新しい技法を編み出すことさえできるようになるかもしれません。

 

 ただし、「エッセンス」が自分でわからないうちは、なるべく私の指示したやり方に従うようにしてください。私としては「どうしてこのような手順を踏むことが必要になるのか」ということについて、できる限り納得のいく説明するつもりでいますが、最終的には、「やっていけばいつかわかりますから、とにかく試しにやってみてください」としか言いようがない部分があります。

 私は、自分の言うことを他人に「信じろ」と要求したりはしません。ただ、「試してみてください」と言うだけです。

 技法を試していけば、私の言っていることが本当かどうかは少しずつわかるようになっていくと思いますし、もし私の言っている通りにならなかったとしても、実際に自分で試してみたのなら、「そこで起こったこと」こそがその人にとっての「真実」となります。そうすれば、「なぜ自分のケースでは、言われていた通りの結果にならなかったのか?」ということも、自分自身で理解できるようになっていくことでしょう。

 

 これは技法を実践していく上でとても重要なことですが、「自分にとっての真実」を大切にするようにしてください。「自分自身が実践をする中で体験したこと」を大事にしていけば、私が説明の中で言っていることが、「部分的には正しく、部分的には正しくない」ということも自分の目で見抜けるようになっていくはずです。

 そもそも言葉で表現する以上、過不足なく「物事の本質」を伝えることはできません。ここで私にできることは、「本質」の「一側面」だけを言葉によって示すことと、その「本質」を私以外の人にも自分自身で「全面的」に体験することができるような方便を提示することだけなのです。

 

 私は結局のところ、あなたのことを誘っているだけです。私はあなたに、私の「支持者」や「追従者」になって欲しいわけではありません。私はあなたに、「自分の足」で前へ進んで欲しいだけです。

 私は、「私なりの歩き方」でここまで歩いてきました。そして、その自分の経験を元に考案した「一つの歩き方」を、これからあなたに提案します。試すも試さないもあなた次第です。

 ただ、いずれにせよ、あなたのこれからの旅が「豊かな学び」に満ちたものとなることを、私は祈っています。

 

・感覚を深める技法 「内観法」

 それでは、技法の解説に入ります。

 私自身はこれを「内観法」と呼んでいます。やり方はシンプルで、「自分の身体の感覚に意識を向ける」だけです。

 試しに、一つの例として「自分の手を感じる」というやり方で、この技法をおこなってみましょう。

 

<内観法>

  1. 楽な姿勢を取って、両目を閉じる。立った姿勢でも、坐った姿勢でも、寝た姿勢でも、自分がリラックスできるようなら、どんな姿勢を取ってもよい。
  2. 目を閉じたまま、まず自分の手を感じてみる。目で見ずに、自分の手が空間のだいたいどの位置にあるかを感じるようにする。それから、手全体の輪郭を感じていく。5本の指それぞれの太さや手の平の厚みなどが、目で見なくても感覚的にわかるよう、心の中で手の輪郭を描いていく(もし手の輪郭がはっきりわからなければ、空いているほうの手で触って確かめてもよい)。
  3. 手の位置と輪郭が感じられたら、今度は手を握ったり開いたりするなど少し動かしてみて、「手が動く感じ」に意識を向けていく(このときも目は閉じた状態でおこなう)。動いている間、手の中の筋肉や骨が動く感じ、手全体の輪郭が運動によって瞬間毎に変化する感じなどに意識を向けていく。
  4. ここで一度、内観法をおこなっていない逆の手と比べて、「意識的に感じていた手の存在感」が自分の中でより明確になっているかどうかをチェックする。手の位置がよりはっきりと自覚され、手の輪郭がよりくっきりと描け、手の動く感じが滑らかに追えるようになっているかを確かめる。
  5. 2~3の工程を繰り返し、「手の存在感」が十分にはっきりしてきたと感じたら、そこから同じことを「手首→前腕→肘→二の腕→肩…」と続けて、感じる範囲を広げていく。

 ↓は参考動画です。音声が聴き取りにくい場合は、字幕をONにしてご覧ください。

 

 これが、私の技法体系全体の最も基礎となるものです。他の私の技法はどれも、多かれ少なかれこの「内観法」に支えられて成立しています。

 ひょっとすると、人によっては「なんだこんなことか」とがっかりしているかもしれません。確かに、やっていることはとてもシンプルですし、派手な動きもしないので、「つまらない」と感じる人もいるでしょう。

 しかし、「自分の身体を感じ、意識する」というたったこれだけのことで、私たちは根底から変わる可能性があるのです。「感じること」と「意識すること」が、どれほど人を変えるものであるかは、今後の講義と実際の実践を通して徐々に理解してもらえることと思いますので、ひとまず今は、この技法のポイントを確認することを優先していこうと思います。

 

 この技法は「自分の身体を明確に感じ取ること」をどこまでも目指していくものです。とにかく大事なことは「自分にとっての明確さ」です。はっきりとした、「透き通るような明確さ」を目指して、感覚を深めていきます。

 そして、まずは「手」「腕」「肩」といった個々の身体部位が明確に感じられるように実践していきます。「手はこうなっている。腕はこうなっている。肩はこうなっている」と、部位ごとに一つずつ意識のピントを合わせて感じていくわけです。

 それがある程度できるようになったら、次は「身体全体としてどんな感じか」ということを探っていきます。部位別に感じるのではなく、全身を一度に眺めるような感じ方をしていくわけです。

 

 「一度に全身を見る」というと、どうやったらいいかわからない人もいるかもしれません。しかし、そもそも「手を感じる」という場合でも、同じようなことを私たちはしているのです。たとえば、「人差し指はこうなっている」「親指はこうなっている」「手の平はこんな感じで…」といった具合に、部分部分に分けても感じることができるところを、「手全体としてはこんな感じ」という風に一つにまとめているわけです。

 要は、意識のピントをどれだけ絞るかという問題に過ぎません。一本の指にしても、関節ごとに区切ったり、浅いところの皮膚と深いところの筋や骨を分けて感じることもできます。細かく感じようと思えばどこまでも細かく感じることができるし、意識を広げようと思えば全身をいっぺんに感じることもできるのです。

 

 とはいえ、いきなり最初から「全身をいっぺんに」というのは難しいかもしれません。そこで、まずは「手全体」「腕全体」「肩全体」という風に進み、それから「肩から指先まで含んだ右腕全体・左腕全体」を感じる。そこからさらに、体幹、脚、首や顔などへと広げて繋げて、少しずつ自分の身体全体を探索していくほうが、いきなり全身を感じるよりも、順序としてはやりやすいかと思います(ちなみに、こういった仕方で身体の全体像を把握していくプロセスを、私自身は「身体のマッピング作業」と呼んでいます)。

 

 ここで一度、ポイントを整理してみましょう。

◎「内観法」のポイント

  • 「感覚の明確さ」を求めて実践する。
  • まずは、身体を部位ごとに分けて、感覚を深めていく。
  • 部位ごとの感覚が深まってきたら、広い範囲をいっぺんに感じてみる。
  • 「部位別に細かく感じる」「全体の感じを把握する」という両方の感じ方が自在にできるよう、意識のピント調節機能を徐々に高めていく。

 

 「内観法」は、やっていることそのものは非常に単純ですが、人によっては「こんなこと生まれてから一度もやったことがない」と感じたかもしれません。

 そもそも、私たちは日常的にあまり自分の身体を意識することがありません。私たちの脳による運動制御はたいへん高度なレベルにあり、私たち自身がほとんど無意識であっても、日常的な活動は難なく遂行できます。たとえば、私たちは考え事に夢中になっていても問題なく歩き続けることができますし、ある程度車の運転に慣れている人は、助手席の人とおしゃべりしながらでも事故を起こすことなく車を操縦できます。

 もちろん、何か新しいスポーツや芸事を始めたりした場合には、考えながら動きを習得していく期間が必要となります。しかし、そういった場合でさえ、私たちは「身体を感じる」ということはあまりせず、「他人(主に指導者や先輩)の動きを外から見えたまま真似する」ということに主に注力します。

 この場合には、「自分の身体を感じる能力」よりも、「自分の身体を動かす能力」のほうが重要になります。前者は「全身から脳へ伝わった感覚情報に意識を向ける力」であり、後者は「脳でイメージした運動を再現できるよう全身の筋肉に的確な指示を与える力」です。考えてみれば当たり前なのですが、「感じること」と「動かすこと」とでは、情報伝達の向きが逆なのです。

 

 一般に、「運動神経がいい」というのは、後者の能力が優れている場合によく言われます。これは、「どんな動きもすぐ真似できて、自分で思った通りに身体を操ることができる能力」とも言えます。多くの体育教師や運動の先生は、この能力を育てることには熱心ですが、逆向きの力、「全身からより多彩な感覚情報を集める能力」にはあまり関心を払っていません。

 しかし、「本当に質の高い運動」を実現するためには、「情報収集」が欠かせません。というのも、全身から集まってくる感覚情報が乏しいと、運動の適切な微調整ができなくなってしまうからです。

 たとえば、目を閉じて片足立ちをする場合と、目を開けて片足立ちをする場合を比べると、目を開けたままの方がずっと安定するものです。それは視覚情報を取り入れることによって、脳がさらに細かく運動の修正をおこなうことができるからです。

 

 これを知ったら驚く人もいるかもしれませんが、ダンスや武道などを長年稽古している人の中には、「身体の動かし方」には熟達していながら、自分の身体を感じようとしてみたことがない人がけっこういます(ちなみに、過去の私自身がまさにそうでした)。こういった人たちは、先生に言われた通りに動くことはできても、「そこから先」に進むことがなかなかできません。なぜなら、上でも書きましたように、運動をさらに洗練していくためには、「入ってくる情報量」を増やすことが必要になるからです。

 「入ってくる情報量」が増えないと、「運動の質」は向上しません。運動を最適化するためには、もっと多くの感覚情報を取り入れる必要があるからです。そのため、「あらゆる身体感覚をひたすら感じ続ける」という訓練に取り組まないままで、どれだけ「動かし方」だけを工夫してみても、「同じ程度の情報をもとに同じレベルの運動をする」という段階をなかなか突破できないのです。

 

 専門的に何かしらの運動を訓練している人でさえそのような「壁」にぶつかるのですから、何もスポーツや芸事などをしていない人は、なおさら自分の身体を感じる機会が少ないと思います。もちろん、「慢性的な痛み」や「動かしにくさ」を感じることならあると思いますが、それらは、「身体のどこかに無理がかかる動き」、つまり「質の低い動き」を知らず知らず長期的に繰り返してきたことによって発生しているものです。そういう意味で、「慢性痛」や「動かしにくさ」などの感覚情報は、身体からの「最終警告」とも言えます。それらは、「こんなことをこれ以上続けていたら、いつか壊れてしまうよ」ということを私たちに伝える、身体からの大事なメッセージなのです。

 これが「無視」されると身体としても困るので、普段あまり身体を感じることの無い人にも自覚できるほど「強い仕方」で身体はメッセージを送ってきます。だからこそ、「痛み」や「動かしにくさ」などの感覚だけは、誰でも身に覚えがあるのです。

 

 「慢性痛」や「動かしにくさ」は、「質の低い動き」を繰り返し続けたことによって身体に無理がかかっていることを知らせる「アラート」です。この場合、「動きの質を高めないと身体がもたない」ということなのですから、「同じ質の動き」をただ無意識に繰り返すことは逆効果になります。「動きの質」を高めないと、根本的な解決には至りません。

 そして、「動きの質」を上げるためには、「動かす力」だけでなく「感じる力」も伸ばしていく必要があります。私が上で提示した「内観法」は、この「感じる力」だけに特化した訓練法とも言えます。

 

 もちろん、「痛み」や「動かしにくさ」が重篤なレベルにある場合は、そもそも筋肉や骨格それ自体が深く損傷している可能性もあるので、そういう場合は「運動」や「感覚」の訓練よりも外科的な処置のほうが優先されるべきです。

 また「筋肉や骨格に非常に無理がかかる動かし方」をしている場合も、理学療法士やスポーツトレーナーといったプロの指導員のもとで、まずは「適切な動かし方」を学ぶ必要がありますから、「感覚」よりも「運動」の訓練のほうが優先順位は高くなります。

 

 しかし、それほど重度の「痛み」や「動かしにくさ」を抱えているわけではないならば、「感覚を深める」ということは大きな意味を持ってくると思います。

 たとえば、「なんとなくいつも身体がだるくて疲れやすい」とか、「特定の動作をするときに身体が痛む」とかいったことであれば、「感じる力」が深まっていくことによって症状が緩和する可能性があります。まず、脳が運動の微調整に利用できる感覚情報が増えて「日常的な動作の質」が全体的に向上することによって、以前と同じことをしていても疲れにくくなっていきます。「質の高い動き」はエネルギーの消費が少なくて済むからです。また、「運動の質」が向上すると「全身を満遍なく使う」ということもできるようになっていくので、「腕の力だけで重い物を持って肩が凝る」とか「腰ばかり力んで腰痛になる」とかいったことも避けることができるようになっていくでしょう。

 専門的にスポーツや芸事で身体を使っていなくても、全ての人が身体を使って生きています。そういう意味で、「身体の感覚を深める」ということが全く意味を持たない人はいないはずです。それぞれの人が、それぞれの置かれた状況に応じて、「感覚を深めること」から何かしらの利益を引き出すことができると私は思っています。

 

・感覚の深め方

 さて、今回はもう一つとても大事なことをお伝えしようと思います。それは「感覚を深めるための大原則」です。

 どんな感覚であれ、それを深めていくためにはとにかく自分が感じている感覚に意識を向けることが重要です。「強い感覚刺激」をただ繰り返し自分の中に入れたらよいわけではなく、入ってくる感覚に積極的に意識を向けていくことが大切なのです。つまり、受け取った感覚に対して「どれほど自覚的に意識を向けたか」ということがポイントになるわけです。

 たとえば、もし聴覚を育てようと思ったら、「大きな音」をひたすら聞いていても意味がありません。そんなことをしたらむしろ感覚が鈍るか狂うかするでしょう。必要なことはむしろ、全身を耳にするような気持ちで「やってくる音にただ聴き入る時間」を多く取ることです。それによって、聞こえてくる音の厚みや奥行きが徐々に増して感じられるようになっていくでしょうし、前までは聞き逃していたわずかな音にも気づくようになっていくでしょう。

 ある鍼灸師の方は、「指先の感覚を磨くために、時間があるときはいつも自分の服を触っている」と言っていました。そうして、指先に生じる「服の感触」に意識を向けるのだそうです。

 

 「内観法」を続けていくことによって、「身体の存在感」は徐々にくっきりと明確になっていきます。やがては、それまで感じることのなかった微細な感覚にも気づくようになり、歩いたり手を上げ下げしたりといった単純な動作をおこなうだけでも、多彩で微細な無数の感覚を味わうことができるようになります。

 また、「内観法」の実践によって「感覚に意識を向けてそれを磨く」ということの「コツ」がつかめたら、起きてから寝るまでのありとあらゆる瞬間が「感覚を磨くチャンス」であるということが自ずからわかるようになるはずです。

 たとえば、仕事や学校の行き帰りに道を歩いているときには、スマホを見たり考え事をしたりせず、足裏の感覚に意識を向けてみる。または、食事の時間に新聞やテレビに注意を向けるのではなく、食べ物の味や匂いへと意識を向けてみる。物を見るときには意識的に見て、音を聴くときには意識的に聴くといったことを、日常のあらゆる機会を利用して実践してみるのです。

 こうしたことの積み重ねによって、私たちの日常はどんどん「色彩豊か」になっていきます。私たち自身が自覚的に、能動的に、自分の感覚に意識を向けていくことによって、私たちが五感を通して日々接する世界は、より立体的で鮮やかな仕方でもって現れるようになるのです。

 実践を続けていれば、やがてはただ歩くことの中にさえ「快い味わい」が現れ始め、食事を「単なるエネルギー補給の時間」として機械的にこなすのではなく、純粋に楽しむことができるようになっていくでしょう。目を凝らして見れば、一本の木の様子にさえも「生命の流れ」を感じることができるようになりますし、あらゆる音に耳を澄ませば、騒音さえもが「音楽」と化します。

 

 とはいえ、こうした「成果」はすぐには現れないかもしれません。しかし、決して焦らないでください。「練習」を重ねることによって、「成果」は少しずつ、確実にやってくるからです。

 私達の生は、私たち自身がそれに積極的に関心を持った程度に応じて、ゆっくりとその「色彩」を増していくものであり、そのプロセスには「限界」というものがありません。私たちがあらゆることを深く感じれば感じるほど、私たちはどこまでもこの世界を彩ることができるようになっていくのです。

 

 感覚についてはまだお伝えしたいことがありますが、それはまた次回書こうと思います。

 次回は、「内観法」についてもう少し解説を補足し、「内観」を深める上で補助となるワークもいくつか紹介しようと思います。

(2019年5月1日 表現をわずかに修正)

 

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